ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。
12. ブランドが増え、カタログ制作にも着手。
〈TUBE〉は最初は原宿にアトリエを構え、1984年にいまの南青山に移ってそこにショップもオープンします。やっていくうちに〈KENGUN〉〈French Line〉〈HISAO SAITO〉〈His TUBE〉などブランドも増えました。大雑把に言うと英語圏の服とそれ以外、つまりフレンチ・カジュアルとイタリアン・カジュアルのムードを取り入れたブランドという分け方で、ソックスとTシャツの〈Daily Artwork〉では高級なインド綿を使った無地のパックTをつくって、これは売れたなぁ。いまでは普通にあるけれど当時はやっているところがなかった。でもそのあとすぐいろんなブランドにパクられたけど(笑)。1980年代の中頃までには卸先は40店舗ほどになって、幸宏さんのBricks monoのブティックでも取り扱っていましたね。
1986年からはブランドのカタログをつくるようになりました。最初のころは松山猛とか山本コテツ(編集者)に手伝ってもらって、その後にスケちゃん(祐真朋樹。スタイリスト、ファッション・ディレクター)と一緒にやるようになったんです。スケちゃんとは「行ったことないところで撮影しよう」とヘルシンキやベトナム、プラハなんかで撮ったりもして。カタログのほか、会社の営業スタッフに「着てもらった服が売れるんです」と言われて自社の服を着て雑誌にも出るようになった。基本的に裏方がいいからあまり出たくなかったけど、イヤイヤやってました。
Profile
斎藤久夫(チューブ・デザイナー)
1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。