スタイルの履歴書 斎藤久夫 #02

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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02. みゆき族の連中とつるんで遊ぶ日々。

 16歳の終わりくらいのころ、仲のよかった先輩たちは日比谷のアメリカン・ファーマシーの地下にあった「ビクトリア」というカフェに溜まっていて、俺も何もわからないけどそこに一緒に行って話を聞いていました。

 この先輩たちはおしゃれなんだけど悪い人たちで、お金を持っていそうな女の子をナンパしてその子に自分が欲しい服を買わせたりしていた。そんな姿を見て「この人たちは見た目は格好いいけど生き方は格好よくないな」と感じるようになりました。そんなタイミングで、たまたま知人を介して銀座のみゆき族の連中と交流が生まれます。

 日比谷の人たちと違って、みゆき族の奴らはチャラチャラしてて女の子にひたすら優しかった。このみゆき族にいた小栗壮介(ファッション・デザイナー)や北村勝彦さん(スタイリスト)、のちに専門学校で偶然一緒になる奴とたまたま知り合い、それからはこっち側との付き合いが中心になりました。

 当時の遊び場は銀座、夜が更けると赤坂、六本木。昔の防衛庁のそばにあった「ジョージ」はジュークボックスの音楽も最新でよく行ってましたね。小栗の実家が四谷左門町にあって、六本木で女の子に相手にされなかったときは歩いて小栗の家まで帰って泊めてもらっていました。新宿の「ジ・アザー」でタケ先生(菊池武夫。ファッション・デザイナー)を見かけたのもこのころ。スーツ着ていい靴履いていて目を引いていたなぁ。

  • 事務所に置かれた膨大な量の洋書や雑誌に服の数々。パソコンはおろか携帯も持たず「必要ない」と話す斎藤さんらしい空間。

    事務所に置かれた膨大な量の洋書や雑誌に服の数々。パソコンはおろか携帯も持たず「必要ない」と話す斎藤さんらしい空間。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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