スタイルの履歴書。大貫憲章 #7

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第13回目は音楽評論家・ラジオDJ、そして2025年に45周年を迎えたDJイベント『LONDON NITE』を主宰する、大貫憲章さんが登場です。

7 13

07. 日本のロック・ミュージシャンとの出会いがあった予備校生時代。

 大学は行かなくていいや、くらいに思っていたんですが、父親が教育熱心だったので一浪してお茶の水の駿台予備校に通うことになりました。一緒にバンドをやっていた友達ふたりが美術系の予備校、お茶の水美術学院に通っていて、昼休みなんかによくそっちに遊びにいってましたね。それで「お前と話が合いそうな女の子がいるぞ。プロコル・ハルムが好きみたい」なんて紹介されたのが荒井由実さん(松任谷由実)。彼女は当時、立教女学院高校に通いながら、お茶の水美術学院でも勉強していたんです。会ってみて、ロックやGSの話で意気投合しましたね。

 予備校時代は時間があったので、渋谷の「ヤマハ」にしょっちゅう足を運んで情報を入手したり、日本のロック・ミュージシャンと知り合うことになったり。柳田ヒロさん(キーボーディスト。小坂忠、細野晴臣らとのバンド「エイプリル・フール」の一員)のアパートに遊びにいったのは覚えているんだけど、どういう経緯で知り合って家までいったのかがあいまいなんですよね(笑)。

 そんな感じの予備校生活を経て、1970年に立教大学に入学します。立教を選んだのは煉瓦造りのチャペルをはじめ建物の雰囲気が格好よかったから。根がミーハーなんでね(笑)。経済学部経営学科に入ったんですが、これも特に理由はなくて。将来、何になりたいとかそういうのはまるでなかったですね。何も考えていなかったなぁ。

  • 1980年ごろにイギリスへ行き、Ultravoxのライブを観たあとに、バックステージでボーカルでありリーダーだったジョン・フォックスと。

    1980年ごろにイギリスへ行き、Ultravoxのライブを観たあとに、バックステージでボーカルでありリーダーだったジョン・フォックスと。

  • 1973年にライブで来日したロリー・ギャラガーと。

    1973年にライブで来日したロリー・ギャラガーと。

Profile

大貫憲章(音楽評論家・ラジオDJ)

1951年2月生まれ。大学在籍中より音楽評論家としてキャリアをスタートし、その活動歴はすでに半世紀以上。特にパンク・ロックへの造詣が深く、1980年6月に新宿の「ツバキハウス」でスタートした『LONDON NITE』は現在も続くDJイベントで、その影響力は計り知れません。2025年1月には『HISTORY OF KENSHO ONUKI 大貫憲章 回顧録』を出版。毎週金曜日の24時からinter FMで『Kenrocks Nite – Ver. 2』が放送中。

インスタグラム @kensho_onuki

RECOMMEND