スタイルの履歴書 斎藤久夫 #04

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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04. メンズファッション専門学校のころ。

メンズファッション専門学校は来てる奴がダサくてつまらなかった。だいたい地方の仕立て屋の息子が勉強しに来ていたんだけど、そんななかでも何人か友達ができました。銀座の遊び仲間が偶然ふたりいたりして。それで朝に一旦学校に行って真面目な連中に代返を頼んで、それから友達と一緒に泳ぎに行くか映画を観にいくか銀座の「フタバヤ靴店」とか洋書の「イエナ書店」を冷やかすか、みたいな日々を送っていましたね。

 洋書はビジュアルをひたすら見てそこから洋服を学んでいました。しょっちゅう通って立ち読みしていたから、そうした洋書に載っているシャツの襟型、パンツの裾幅や丈のバランスはすっかり記憶してましたね。それで〈VAN〉じゃなくてこっちが「本物」なんだと気づいちゃった。でもこういう服はなかなか手に入れられるところはなかったですね。

 1966年、卒業する年に小栗と半年ほどハワイに遊びに行って、そのときに1週間だけLAにも居たんだけど、このころの若者はみんなヒッピー。裸足でロン毛でTシャツでブーツカットで、と言う感じで俺たちが知っている「アイビーの服」なんていうのは年配の人しか着ていないわけです。それが決定的でしたね。日本でもてはやされていた「アイビー」は嘘だったんだと。同じ頃、やはり洋書や映画を通してフランスをはじめヨーロッパの服の魅力を知ることになります。「俺たちの格好とは全然違うぞフランスは!」と。

  • 円安といわれる2024年ですが、1ドルが360円の時代にはじめて21歳で行った海外旅行先はハワイ。専門学校卒業前のことだった。

    円安といわれる2024年ですが、1ドルが360円の時代にはじめて21歳で行った海外旅行先はハワイ。専門学校卒業前のことだった。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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