スタイルの履歴書 斎藤久夫 #08

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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08. 6年半の会社勤めにいよいよ終止符を。

 アメリカまでデニム生地を買いに行ったのは25歳のときで、これを〈Westrider〉というブランド名で製品にしたら最初は全然売れなかった。これは販促が足りていないからだと思ってポスターをつくったり、知り合いづてでラジオCMを打ったりしました。ラジオCMの音楽は、美恵さん(伊藤美恵。WAGの創設者)の「BUZZ SHOP」が縁でノブさん(高橋信之。音楽プロデューサー)が引き受けてくれて、ノブさん、美恵さんの弟・幸宏さん(高橋幸宏。音楽家、ファッション・デザイナー。故人)や高中さん(高中正義。音楽家)が演奏を担当してくれました。

 この時期になると結婚して子どもを授かったり、仕事が忙しくなったりで夜遊びはすっかりご無沙汰に。仕事で企画した商品はヒットするものもあれば全然売れなくて返品の山になったものもありました。取引先である帝人が「斉藤さんの服は売れるよ」と、販路を紹介してくれたのは大きかったですね。いろんな人も紹介してもらいました。

 ヒット商品を出してもボーナスは出なかったけど、そのころの所得倍増計画の影響で給料は上がり、なんとか生活はできていました。まわりにやってる奴もいた、生地屋からバックマージンをもらったりというような悪いことは一切しなかった。で、28歳で会社を辞めることにするんです。生産やコストについて学んだり、取引先との繋がりができたりと、振り返れば実り多い6年半でした。

  • 事務所でも自宅でも、音楽はレコードで聴くことが多い。事務所には巨大なフランス製のヴィンテージのラジオなども。

    事務所でも自宅でも、音楽はレコードで聴くことが多い。事務所には巨大なフランス製のヴィンテージのラジオなども。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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