ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第14回目は演出家として世界のフィールドで活躍し続ける、若槻善雄さんの裏方としての美学を教えてもらいます。
01. 藤寺の本家の末っ子はわんぱくだった。
実家は長野市の浄専寺。兄貴が14代目の住職です。もともとは新潟から流れてきていまの場所にお寺を建立したらしい。ぼくは1962年生まれで、7歳上の兄貴と4歳上の姉貴がいる末っ子ですね。実家のまわりは野山ばかり。うちの裏に線路があって、それを越えるといわゆる里山で子どものころはそこを駆けまわって、天気の悪い日は友達と80畳ほどある寺の本堂で遊んでいました。
寺なので毎日お務めがあって、本堂での夕方のお務めでは読経していましたよ。しっかり読めるわけではなかったけど(笑)。
いまは建て替えてしまったのだけど、子どものころの住まいは縁側があって、仲のよかった友達とその下に秘密基地みたいな感じで潜んで遊ぶこともありました。あるとき、日が暮れてもぼくらが帰ってこないと大騒ぎになって、大人たちが探しまわっていたら、縁の下から懐中電灯のあかりを見つけて、発見されたという出来事がありました。いま考えると蛇やネズミがいたかもしれなくて怖いのですが、そのころはわんぱくでしたね。
うちの寺は大きな藤の木があって「藤寺」と呼ばれているんですが、5月になるとお祭りみたいに参道に屋台が出るんです。そこで遊ぶのは年に一回の楽しみでしたね。本家の末っ子だというんで、お客さんが50円とか100円くれて、そのお金で屋台で型抜きをしたり爆竹を買ったり。お金がなくなると「新しいお客さん来てないかな」なんて(笑)。
Profile
若槻善雄(演出家)
1962年、長野県長野市出身。パリ、東京コレクションを中心に音楽ライブやアート展などの演出を手がける「ドラムカン(DRUMCAN)」所属。40年以上、さまざまなブランドを演出家という仕事で支え続けるプロフェッショナル。生涯現役を掲げて裏方の美学を貫きながら、今日も新たなクリエイションを発信します。
インスタグラム @yoshio_wakatsuki