Text:Kenichi Aono
Edit:Yusuke Suzuki
ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。
11. ブランド設立のころ、ビームス顧問に。
ブランドをはじめたはいいが、最初のころは全然売れなかった。まずいなぁと思ったけど、雑誌の力に助けられました。松山猛(編集者、作詞家)が紹介してくれたり、『POPEYE』や『BRUTUS』で取り上げてくれた。のちに『MEN’S NON-NO』の編集長になった日高さん(日高麻子。集英社取締役)にも。あとは当時ビームスにいた重松さん(重松理。ユナイテッドアローズ創業者)が、「インターナショナルギャラリー ビームス」をつくるときに「やってくださいよ」と言われて置くことになったりして、どうにか少しずつ軌道に乗るようになりました。
ビームスは自分がブランドを立ち上げたころから重松さんの依頼で顧問を務めていたんです。3年半くらいやったかなぁ。当時の社長の悦三さん(設楽悦三。ビームスの創業社長で現社長・設楽洋の父。故人)、副社長の恭子さん(設楽恭子。悦三氏の妻。故人)と重松さんと俺で月に2回ミーティングをしていました。1981年に「インターナショナルギャラリー ビームス」を立ち上げるとき重松さんにヨーロッパのブランド30社くらいのリストを渡して出張に行ってもらいました。あるとき、重松さんに「耀司さん(山本耀司)と川久保さん(川久保玲)にお願いして別注でジーンズをつくってもらおう」と提案したんです。できるのはビームスだけだからと。ただそのころはビームスもお金がなかったから実現には至らなかったんだけどね。
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南青山の「TUBE」オープン時のパーティの様子。1984年はまだ根津美術館と青南小学校があったくらいで、いまの喧騒とは無縁の静かな街だった。
Profile
斎藤久夫(チューブ・デザイナー)
1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。
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