ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第14回目は演出家として世界のフィールドで活躍し続ける、若槻善雄さんの裏方としての美学を教えてもらいます。
02. 音楽やファッションに興味を持ちはじめる10代前半。
中学に入って、部活はバレー部。当時『ミュンヘンへの道』というアニメにドキュメンタリーを組み合わせた番組がテレビでやっていて、バレーが人気だったんです。兄貴がサッカーをやってたので、それと同じじゃないのがいいというのもあった。でも面白くなくて半年で辞めてサッカー部に転部しました。
そのころ、兄貴がキャロルにハマってて、その影響で、スキー学校とか社会科見学に行くバスのなかでマイクを握ってキャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」を唄ったりして。かなりませた中学生でしたね。
ファッションに目覚めたのは小学校高学年。兄貴は京都の大学に行ったんですが、大学1回生の5月の連休に帰省するというんで長野駅まで迎えにいったんです。そうしたらレタード・カーディガンにアスコット・タイ、〈Rayban〉のサングラスといういでたちで現れて「かっこいいなぁ」と。長野にはそんな格好のひとはいなかったですからね。それでおふくろにボタンダウン・シャツなんかをねだって買ってもらいました。
あとはファッションでいうと、西城秀樹がパッチワークのジーンズを穿いているのをテレビで観て、兄貴と姉貴のおさがりを使って自分でつぎはぎして似たようなのを作ったんですよ。縫い方はおふくろに教えてもらって。ジーンズ生地は硬いのでミシンの針を何度か折ってしまって、おふくろに「なにやってんのあんたは!」と怒られました。
Profile
若槻善雄(演出家)
1962年、長野県長野市出身。パリ、東京コレクションを中心に音楽ライブやアート展などの演出を手がける「ドラムカン(DRUMCAN)」所属。40年以上、さまざまなブランドを演出家という仕事で支え続けるプロフェッショナル。生涯現役を掲げて裏方の美学を貫きながら、今日も新たなクリエイションを発信します。
インスタグラム @yoshio_wakatsuki