スタイルの履歴書 斎藤久夫 #06

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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06. 10万本のパンタロンを売り上げた企画。

 会社勤めをしてしばらく経ったあるとき、上司が辞めることになったんです。その少し前に、上司と丸紅の人から「穿き心地がいいとかディテールがいいと思うパンツを100本くらい探して買ってきてくれないか」と相談されました。よくよく聞くと、そのパンツをアメリカのFARAH社に送るんだと。このときのふたりが立ち上げた会社がFARAH JAPAN社で、俺も1年後にはそこに行くはずだったんだけど、アメリカの合繊のパンツにはあんまり興味が持てなくて、結局会社に留まることにしました。なにしろこっちが着ているのは〈CERUTTI〉なんかのイタリアのスーツにフランス靴という感じだったので。

 そんな格好だったから、伊勢丹や西武に商談しに行くと「斉藤さんはなんでこの会社にいるんですか?」なんて聞かれました。企画している商品と着ているもののギャップが大きかったからですね。それで、あるとき「斉藤さんが提案するいまどきのパンツが見たい」と言ってきて。こっちは生意気だから「お前らバイヤーに何がわかるんだ。売る自信はあるのか?」という気持ちだったんですが、ともかくやってみることにしたんです。

 この話を受けて、帝人が持っていたブランド名と素材を使ってつくった若者向けのパンタロンはあっという間に10万本ほど売れました。そんな体験で「俺はなんでも売れるものをつくれる」と錯覚して会社に「アウターをやりましょう」と新規提案もしましたね。

  • いまでもデザインは鉛筆で手描きで。デスクの上にはアメリカやフランスやイギリスで手に入れたものなどが置かれている。

    いまでもデザインは鉛筆で手描きで。デスクの上にはアメリカやフランスやイギリスで手に入れたものなどが置かれている。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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