スタイルの履歴書。 斎藤久夫 #10

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

10 15

10. 1979年、TUBEブランドの立ち上げ。

 デュプロマンをやっているときは頻繁に海外に行って買い物をしていたから、結構つてもできて、いくつかのブランドから「日本で売ってくれない?」と頼まれるようになりました。それでポール・ハウルとかレザーのシコンとかを仕入れたんです。業界人は気にしてそれらを見にきてくれたんだけどいかんせん高い。全然売れなかったし、海外の連中は注文どおりに商品を送ってこない。そんなこともあって、紙と鉛筆で儲ける企画屋の仕事も辞めて自分で服を作ろうと思って立ち上げたのが〈TUBE〉。1979年のことです。

 そのころはタケ先生をはじめいろんな人が自分のブランドをやっていました。俺はどちらかというとインポートの服が好きで自分で服をつくる気はあまりなかった。服は買うものであってつくるものじゃないと。でも世の中に出回っているデザイナーズ・ブランドが売れるんなら自分の服も売れるんじゃないか、そう思って自分が欲しい服をつくってみようとはじめたんです。年齢的にもやるならいましかないと思って。インポートの卸先が10店舗ほどあったのも幸いでしたね。

 〈TUBE〉のブランド名はロンドンの地下鉄がチューブと呼ばれているのが印象に残っていたのと、俺の好きなスリム&トール、シャープな服がチューブっぽいなというところからつけました。服を見た人からは「デザイナーズ・ブランドじゃないよね」なんて言われたけれど、それはむしろうれしかったな。

  • 1990年代に制作した〈TUBE〉〈His TUBE〉のカタログたち。ヘルシンキからハワイまで、そのときの自由な世界感はいま見ても新鮮。

    1990年代に制作した〈TUBE〉〈His TUBE〉のカタログたち。ヘルシンキからハワイまで、そのときの自由な世界感はいま見ても新鮮。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

RECOMMEND