スタイルの履歴書 斎藤久夫 #01

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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01. 外遊びが好きだった子ども時代。

 1945年9月生まれなので、かろうじて戦後派です。親父は戦争に行かなかったらしく母親は父を非国民なんて言ってましたが(笑)。生家は本郷で、1歳のときに目白に越しました。小さいころは護国寺でザリガニやトンボを捕まえて遊んでいたな。

 歳の離れた姉がふたりいて、下の姉が海が好きで小学生のころはよく連れていってくれて、こっちは泳ぐしかないから気づいたら水泳が得意になっていました。いくつかの小学校が集まる大会で優勝もしたんですよ。

 そんな感じで服に興味がなかったけど、小石川工業高校の同級生のお兄さんにおしゃれな人がいて、あるときその人が仲間とGパンの話をしていたんです。で、「どこで売ってるんですか?」と尋ねて上野の高架下まで買いにいきました。これが最初に自分で買った服。知識もお金もないから、1番安いやつ。260円。それがなんと4パッチ・ポケットの水兵のパンツだった(笑)。「これ全然違うよ」とそのお兄さんに言われ、何が違うんだと聞いたら「〈リーバイス®︎〉じゃないと。ポケットとかステッチが違うでしょ」と。「先に言ってよ」と思いましたね(笑)。

 ジーンズといえば19歳頃だったかな、サーフボードを手に入れて。それで当時の彼女と海に行くときに穿いているのを見せたいという理由で新品の〈リーバイス®︎〉を上野の高架下で買いました。これが高かった。初任給が7,000円の時代に4,800円でしたから。

  • 19~21歳までの3年間は、毎年夏の間だけ伊豆の多々戸浜に友人と海の家を借りて住むほど、サーフィンにハマっていた。

    19~21歳までの3年間は、毎年夏の間だけ伊豆の多々戸浜に友人と海の家を借りて住むほど、サーフィンにハマっていた。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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