Text: Kenichi Aono
Edit: Yusuke Suzuki
ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第12回目はスタイリスト・クリエイティブディレクターとして活躍する島津由行さんの半生を辿ります。
08. ミュージシャンの着る服に関わる仕事がしたい。
定時制を辞めて、再度受験して全日制の高校に入りなおすんですが、バンドは継続してやっていました。でもすごい連中の音楽をいろいろ聴いていたので、これはかなわないや、と気づいてもいたんですよね。やがて音楽分野のアートディレクターとか衣装デザイナーの存在を知るようになり、漠然とミュージシャンが着る服に関わる仕事がしてみたいという気持ちが芽生え、高校を卒業したら東京、それも原宿に行こうと決意するんです。
1977年3月、高校の卒業式のあと夜行列車「桜島」に乗りこんで25時間かけて東京へ。のちに矢沢永吉さんと仕事でご一緒したときにそのことを話したら、それ以降、「あなたも夜行組よね」といわれるようになりました(笑)。なんだか嬉しかったですね。
東京では「ハリウッドランチマーケット」に入れたら、なんて考えていたんですが、最初は渋谷駅前のバーでバイト。そのころはロンドン・パンクが出てきて、原宿の「赤富士」で〈Seditionaries〉の服を少し置くようになったりして、ぼくも興味が高まって2週間ほどロンドンを旅行してきました。
あるとき〈Do! Family〉のグラフィックが「WORKSHOP MU!!」の真鍋立彦さんなのを知って、ここで働きたいと電話しました。「WORKSHOP MU!!」は〈Niagara〉やサディスティック・ミカ・バンドのアートワークをやっていて真鍋さんのイラストが好きだったしやっぱり原宿で働きたかったんです。
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先輩から引き継いだハードロックバンドの魔神会。ボーカル・ギター・・ベースドラムの4人編成で、島津さんはベース担当。ドラムを担当していた内田聖治さん(故人)は、のちにクリスタルキングの2代目ボーカルとして活躍した。
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1973年ごろに購入した〈グレコ〉のレスポール。その後ベース担当となり1974年製のUSAフェンダープレッションベースを月賦で36回払いで購入。今でも所有し「ヴィンテージになりました(笑)」と話す。
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記憶は定かではないが、〈グレコ〉のレスポールのネックにネームを削った跡が。
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1978年に購入した〈セディショナリーズ〉のパラシュートジャケット。その時にTシャツも一緒に購入したそう。
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パラシュートジャケットの背中にはマルクスが。
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〈セディショナリーズ〉と当時ロンドンにあった「SEX」のタグが並ぶのは超レア!!
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ザ・ビートルズのシングル盤は今でも80枚ほど、ほぼコンプリートで所有するほど。
Profile
島津由行(スタイリスト・クリエイティブディレクター)
1959年、熊本県出身の九州男児。1981年にパリへ渡り、スタイリストとして活動をスタート。雑誌、広告、ミュージシャン、ショーなど、さまざまなフィールドを自由自在に行き来しながら、現在はギターメーカー〈フェンダー(Fender)〉によるアパレルブランド〈F is For Fender〉のクリエイティブディレクターの顔も。
インスタグラム @shimazuyoshiyuki
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