スタイルの履歴書。島津由行 #10

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第12回目はスタイリスト・クリエイティブディレクターとして活躍する島津由行さんの半生を辿ります。

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10. 1981年、パリから旅をはじめて。

 20歳のころ、母親が肝硬変で亡くなるんです。離婚、再婚といろいろあって、母親には複雑な気持ちを持っていましたが、亡くなるときには「やっぱり愛されていたんだな」と感じましたね。それと同時に、自分でしっかりやっていかなきゃという思いも強くなり、ヨーロッパ行きの決心がつきました。

 最初はロンドンに行くつもりだったんですが、あちこち旅するなら大陸続きのほうがいいだろうとパリを目指すことに。パリに着いたあとはスペイン、イタリア、北アフリカのカサブランカ、モロッコ、マラケシュ、そこから山を登ってベルベル民族のところまで行って、という具合に半年ほど旅をして。遅れてきたヒッピーですね。純粋で、信じられる希望みたいなものが開けていった旅でした。

 パリに戻ったらひょんなことから〈ISSEY MIYAKE〉のショーの手伝いの依頼。一生さんが組んだコーディネート150体ほどに番号をつけて、という内容でしたが、思えばこれがスタイリスト的な仕事の最初かもなぁ。

 その後、当時パリで「ヨウジヤマモト・ヨーロッパ」の仕事をされていた田山淳朗さん(ファッション・デザイナー)が声をかけてくれました。それでぼくはしばらく〈YOHJI YAMAMOTO〉のショーに携わることになるんです。そこを起点にして〈Comme des Garçons〉や〈Worlds End〉のショーのフィッターもやるんですが、パリコレを裏側から見ることができた貴重な機会でしたね。

  • 現在もパリで活躍するカメラマンの佐藤容一郎さんに教えてもらい入学した、フィアップというフランス語学校の学生証。ただ、入学してからすぐ旅に出てしまうことになり、3ヶ月ほどで辞めてしまったそう(笑)。

    現在もパリで活躍するカメラマンの佐藤容一郎さんに教えてもらい入学した、フィアップというフランス語学校の学生証。ただ、入学してからすぐ旅に出てしまうことになり、3ヶ月ほどで辞めてしまったそう(笑)。

  • 1981年に最初の旅先であるスペインへ。節約のため髪を短く切ってから向かった。島津さんのとなりに写るのはフランスを代表するクルマの〈シトロエン〉社の『2CV』。

    1981年に最初の旅先であるスペインへ。節約のため髪を短く切ってから向かった。島津さんのとなりに写るのはフランスを代表するクルマの〈シトロエン〉社の『2CV』。

  • 〈VAN〉出身でその後〈apres seize〉のデザイナーになる矢島タケシさん(右)と一緒に1981年に撮影された1枚。

    〈VAN〉出身でその後〈apres seize〉のデザイナーになる矢島タケシさん(右)と一緒に1981年に撮影された1枚。

  • 1982年、はじめてパリで借りたアパートで。バルベスという、アフリカ人の方々が多い街で治安はかなり悪かった…。

    1982年、はじめてパリで借りたアパートで。バルベスという、アフリカ人の方々が多い街で治安はかなり悪かった…。

  • バルベスのアパートで撮影された写真を見ると、デスクの上にLAで購入した1959年製の同じ歳のドナルドダックのフィギュアが!!

    バルベスのアパートで撮影された写真を見ると、デスクの上にLAで購入した1959年製の同じ歳のドナルドダックのフィギュアが!!

Profile

島津由行(スタイリスト・クリエイティブディレクター)

1959年、熊本県出身の九州男児。1981年にパリへ渡り、スタイリストとして活動をスタート。雑誌、広告、ミュージシャン、ショーなど、さまざまなフィールドを自由自在に行き来しながら、現在はギターメーカー〈フェンダー(Fender)〉によるアパレルブランド〈F is For Fender〉のクリエイティブディレクターの顔も。

インスタグラム @shimazuyoshiyuki

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