スタイルの履歴書。 中曽根信一 #01

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki、Miyoko Hashimoto

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第5回目は原宿のインポートショップ「ラブラドールレトリバー」代表の中曽根信一さんの半生を辿ります。

01 13

01. 農作業の手伝いが日課だった子どものころ。

 出身は長野。坂城という上田からひとつ先の小さな町で1957年生まれです。弟、妹の3人兄妹でぼくは長男。父親は勤め人でしたがおじいちゃんが田んぼと畑とお店をやっていて。お店は食料品のほか日用雑貨も扱うなんでも屋さんみたいなところでした。いろいろ手伝わされましたが、苦ではなかったですね。自給自足用の農作物のほか、大きなりんご園もやっていたんですけど、あるとき突然おじいちゃんがりんごの樹を全部切って町で一番最初にぶどうに替えました。ぼくは学校に行く前の時間にこれらの収穫、出荷を手伝っていました。ぶどうって花が咲くころになるとジベレリンという薬をつけるんです。デラウェアという種類のブドウで、その薬は種無しブドウを作るための物でした。薬をつけた目印に食紅を使うんですが、その作業をするときに食紅が手についてしまう。だからこの時期は手が真っ赤になっていました。

 父親は畑仕事は一切手伝わなかったけれど動物が好きなひとで。ヤギを飼ってますとか犬を飼ってますというレベルじゃなくて、猿がいたり、鳥も20羽30羽というものじゃなくありとあらゆる種類を飼育していました。ぼくは動物たちにごはんをあげる役をやらされていましたね。高校生くらいになると8月末から10月の20日ごろまではそういうことをやりながら山に毎日入っていました。松茸を獲りに。それを箱詰めして千曲市の上山田温泉まで売りに行ったりもしましたよ。

  • 長野の農家で生まれ、幼少期は祖父の畑仕事を手伝うのが日課。父親が動物をたくさん飼っていたことから、猿や鳥などと触れ合う機会も多く、高校生までは自然のなかで暮らしていたと話す。

    長野の農家で生まれ、幼少期は祖父の畑仕事を手伝うのが日課。父親が動物をたくさん飼っていたことから、猿や鳥などと触れ合う機会も多く、高校生までは自然のなかで暮らしていたと話す。

Profile

中曽根信一(ラブラドールレトリバー 代表)

1957年、長野県生まれ。1977年からアメカジの名店「バックドロップ」で働き1986年に退社。その後、犬と暮らすライフスタイルへの憧れから、犬の名前を屋号にしたインポートショップ「ラブラドールレトリバー」をスタート。現在はさまざまなブランドや企業のディレクション&アドバイスなど、既存の枠にハマらない活動をしています。

HP:https://labrador.buyshop.jp/
Instagram:@labrador_retriever_japan