スタイルの履歴書。島津由行 #1

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第12回目はスタイリスト・クリエイティブディレクターとして活躍する島津由行さんの半生を辿ります。

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01. 城下町・熊本の街中で育つ。

 1959年3月17日生まれ、学年でいうと1958年の代です。熊本市の繁華街のすぐ近く、街中で育ちました。「電気館」(現在のDenkikan)や「新世界」という映画館があり、それからいまより妖艶で華やかな大人っぽい飲み屋が多かった。仕事で通ってくるというよりも近所に住んでいるひとの街でしたね。下通の南にある「シャワー通り」の近くは元赤線地帯で、女のひとが立っているのをよく見かけ、ぼくはたまに冷やかされたりした思い出がありますね(笑)。

 両親、兄、姉、それと母方のおばあちゃんと暮らしていました。兄が7つ、姉が2つ歳上だったので、その影響は大きかったです。父は京都生まれの彦根育ちで養子として島津家にやってきたんですが、5、6歳のころに父のお母さん、ぼくからみたらおばあちゃんも一緒に住むことになるんです。母方のおばあちゃんはもともと同居していたからおばあちゃんがふたり家にいることになった。そのせいもあって、おばあちゃん子でしたね。学校では不思議がられていましたけど…。

 小学校の真ん中あたりになると、両親の仲が悪くなって中学1年ごろに離婚が成立します。そんなことも手伝って内向的でひとと接するのが嫌いな子どもになりました。内面を探られたくないからわざとふざけたりね。そういう家庭環境だったからか、姉はすごくしっかりしていたのと、おばあちゃんがいてくれて助かったのはよく覚えています。

  • 「堤写真場」で撮影された幼きころの島津さん。すでにおしゃれの片鱗を感じます。

    「堤写真場」で撮影された幼きころの島津さん。すでにおしゃれの片鱗を感じます。

  • おそらく小学校入学を記念し撮影された1枚。

    おそらく小学校入学を記念し撮影された1枚。

  • 「なぜか小さいころ、靴は左右逆に履いていたんだよね」と言うことを証明するように、つま先が外側を向いています。

    「なぜか小さいころ、靴は左右逆に履いていたんだよね」と言うことを証明するように、つま先が外側を向いています。

  • 今は亡き父親に抱かれて。

    今は亡き父親に抱かれて。

Profile

島津由行(スタイリスト・クリエイティブディレクター)

1959年、熊本県出身の九州男児。1981年にパリへ渡り、スタイリストとして活動をスタート。雑誌、広告、ミュージシャン、ショーなど、さまざまなフィールドを自由自在に行き来しながら、現在はギターメーカー〈フェンダー(Fender)〉によるアパレルブランド〈F is For Fender〉のクリエイティブディレクターの顔も。

インスタグラム @shimazuyoshiyuki