ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第14回目は演出家として世界のフィールドで活躍し続ける、若槻善雄さんの裏方としての美学を教えてもらいます。
11. フリーランスになって新世代のデザイナーと出会う。
会社を辞めたはいいが仕事がない。そんなときに、芝浦GOLD(1989年オープンの伝説的クラブ)の佐藤俊博さんから「ヒマしてるんだったらうちの企画やらない?」と声をかけてもらいました。ぼくは毎月の収入を保証してくれるなら、と返事をして手伝うことにしたんです。GOLDはまかないがあったから特に用事がなくても行って(笑)。でもそこでもいろいろな出会いがありました。
GOLDでフミヤ(藤井フミヤ)からジョニオ(高橋盾。〈UNDERCOVER〉デザイナー)を紹介されて、3回目のコレクションから携わります。またあるときは家の近くで丸山敬太(〈KEITA MARUYAMA〉デザイナー)から話しかけられて「今度ショーをやるのでお願いできますか」と。もちろん二つ返事で引き受けました。バブルが崩壊して彼らのような新しいデザイナーが出てきて、そういうひとたちと仕事ができるようになったのがこの時期の大きなトピックスです。
サル時代、四方さんによくいわれたのが「詩とか文章を読むときに抑揚をつけるだろ? それをやるんだよ」ということ。モデルを出すタイミングにも感情を込めて表現する、そんなニュアンスのことだと理解しましたね。もちろん演出家はショーの舞台装置、セットに関するアイディアを持っていることもとても重要。だからその両方を身につけていきました。インプットはひととの会話やニュースといった日常レベルのことや、美術館、映画館で触れた作品からも。ジャン=ジャック・べネックス『ディーバ』(1981)やセルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)はこんな要素がファッションにもあったら面白いだろうな、なんて考えていました。
Profile
若槻善雄(演出家)
1962年、長野県長野市出身。パリ、東京コレクションを中心に音楽ライブやアート展などの演出を手がける「ドラムカン(DRUMCAN)」所属。40年以上、さまざまなブランドを演出家という仕事で支え続けるプロフェッショナル。生涯現役を掲げて裏方の美学を貫きながら、今日も新たなクリエイションを発信します。
インスタグラム @yoshio_wakatsuki