スタイルの履歴書。小林節正 #1

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載で、毎週月・水・金曜更新。第15回目に登場いただくのは、〈. . . . .RESEARCH〉代表であり、アウトドアからカスタムバイクまで、まさに我が道をいくスタイルを貫く小林節正さんです。

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01. 芸事と町工場が隣接する浅草で生まれ育つ。

 俺が子どものころの浅草は、仲見世から入って観音様を通りこした裏手あたりまで来ると町の半分は花柳界、もう半分は革と靴屋、いわゆる町工場(こうば)地帯でした。友だちの家は置屋さんやってたところも多かった。芸事の世界と岡林信康の「チューリップのアップリケ」みたいに靴工場(こうば)からトントン音がしているところが隣り合っていて、うちももれなく靴工場(こうば)。

 うちの父親は終戦を呉で迎えて、それからゆっくり北上して東京で職を見つけたそうです。銀座で高級靴を扱う店で販売員をして、「販売よりもつくったほうが儲かる」と踏んでそこを辞め、浅草で靴工場を始めました。父親が木型を削ってデザインをして、自分が抱えている職人につくらせるという工房スタイルです。手さえ動かせたら稼げた時代だったから、町工場で働くひとは学校に行けなかったり足の不自由なひとも多かった。そういうひとを住み込みで雇って、という感じで、うちにも3人ほど寝泊まりしている職人がいましたね。労働者階級のど真ん中です。

 住まいの1階が工場(こうば)、2階が生活の場で、うちは全部手製でやっていました。機械を置く広さがないから手製でやらざるを得なかったんです。工場(こうじょう)を持っているところもあったけど、うちみたいな小さな工房はみんなハンドメイド。機械でなく指先の仕事だから、見ているうちに、靴づくりの工程はなんとなく理解しました。

  • 御年64歳の小林さん。まだ今のようにアパレルショップやカフェなどが全然なかったころから中目黒で活動をスタートし、街の変化を見守り続けています。

    御年64歳の小林さん。まだ今のようにアパレルショップやカフェなどが全然なかったころから中目黒で活動をスタートし、街の変化を見守り続けています。

Profile

小林節正(. . . . .RESEARCH〉代表)

1961年1月生まれ、浅草出身。〈. . . . .RESEARCH〉代表。山の〈マウンテン リサーチ〉やカスタムバイクの〈R.E.R〉こと〈ライディングエキップメント・リサーチ〉の展開、さらに2021年にオープンしたキャンプ場「水源の森 キャンプ・ランド」をプロデュースし、不定期で「ANARCHO MOUNTAINEERS」と題したイベントも開催。街も自然も、自由に行き来し自由に楽しむ姿勢は、多くのファンの心を掴んで離しません。

インスタグラム @anarchomountaineers009