ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第13回目は音楽評論家・ラジオDJ、そして2025年に45周年を迎えたDJイベント『LONDON NITE』を主宰する、大貫憲章さんが登場です。
05. ラジオの深夜放送が重要な情報源だった。
新宿「ACB」でビーバーズの手伝いをやっていたのは1年ほどでしたが、音楽について深堀りできた期間でしたね。対バンで出るほかのバンドからも影響を受けたりして。前にも話したように海外のバンドの曲を演るグループが多かったんですが、ゴールデン・カップスなんかはヒットした「長い髪の少女」もやるにはやるんだけど、それよりも自分たちの好きな最先端のロックやブルースを演奏していました。こっちはそれを聴いて「ポール・バターフィールド・ブルース・バンド……知らない」みたいな感じで、いろいろ勉強になりました。みんな早かったですね。
そのころはまだ音楽雑誌を熱心に読むには至っていなくて、ビーバーズや対バンのひとたちからの生の情報と、あとは圧倒的にラジオが重要な情報源でした。「9500万人のポピュラー・リクエスト」や「S盤アワー」(ともに文化放送)はよく聴いていました。それから「グヤトーン・ラブリーナイト」(ラジオ関東)という「勝ち抜きエレキ合戦」のラジオ版みたいな番組も覚えています。1967年からは深夜に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)と「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)もスタート。「パック・イン・ミュージック」は音楽評論家の福田一郎先生がパーソナリティの日はロックに特化していましたね。そういう番組で気になった曲やアーティスト名を、忘れないようにノートにメモしていました。
Profile
大貫憲章(音楽評論家・ラジオDJ)
1951年2月生まれ。大学在籍中より音楽評論家としてキャリアをスタートし、その活動歴はすでに半世紀以上。特にパンク・ロックへの造詣が深く、1980年6月に新宿の「ツバキハウス」でスタートした『LONDON NITE』は現在も続くDJイベントで、その影響力は計り知れません。2025年1月には『HISTORY OF KENSHO ONUKI 大貫憲章 回顧録』を出版。毎週金曜日の24時からinter FMで『Kenrocks Nite – Ver. 2』が放送中。
インスタグラム @kensho_onuki