スタイルの履歴書。大貫憲章 #2

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第13回目は音楽評論家・ラジオDJ、そして2025年に45周年を迎えたDJイベント『LONDON NITE』を主宰する、大貫憲章さんが登場です。

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02. エレキ・ブームをきっかけに音楽に夢中に。

 小学生のときは将来の夢とか全然なくて。でも父親は教育熱心だったから「東大に入れる」ぐらいのことを考えていました。一方で母親は勉強しろともいわず、干渉してこなかったですね。それで中学は父の意向で受験することになり、府中の明星学苑に入学しました。もちろん志望校も父親任せでした。

 中学に入るころには興味の対象は音楽、ロックになっていました。きっかけは「エレキ・ブーム」で、情報源はラジオとテレビ。

 ビートルズがイギリスで出たのが1963年で、ベンチャーズは1950年代から活動していましたけど、日本で知られるようになるのは来日があったから。ビートルズは1966年の来日前から世界的に人気があったので情報やレコードも入ってきていました。こっちは子どもなのでもっぱらラジオでしたけど。ベンチャーズは1965年に来日公演があって、そのライブ盤『Ventures In Japan』(1965)の赤盤がぼくが最初に手に入れたロックのアルバム。母方の叔父さんと国分寺だか国立のレコード屋に行くことがあって、「好きなの買ってあげるよ」というので、知っていたベンチャーズのこのアルバムをお願いしました。ちなみに赤盤というのは1970年代のはじめまで東芝音楽工業がプレスしていた、帯電防止剤を混ぜ込んだ半透明の赤いレコードのことです。それまでシングル盤は聴いていたけど、ライブ盤ならではの躍動感に子どもながらにもしびれましたね。

  • ベンチャーズの『Ventures In Japan』(1965)の赤盤が最初に手に入れたレコードというように、いまでもDJはレコードオンリー。ちなみに『Ventures In Japan』の赤盤は当時東芝にしかできない技術で、埼玉の川口工場でしか生産できなかったとか。写真は大貫さんの自宅地下にあるレコード部屋の一部です。

    ベンチャーズの『Ventures In Japan』(1965)の赤盤が最初に手に入れたレコードというように、いまでもDJはレコードオンリー。ちなみに『Ventures In Japan』の赤盤は当時東芝にしかできない技術で、埼玉の川口工場でしか生産できなかったとか。写真は大貫さんの自宅地下にあるレコード部屋の一部です。

Profile

大貫憲章(音楽評論家・ラジオDJ)

1951年2月生まれ。大学在籍中より音楽評論家としてキャリアをスタートし、その活動歴はすでに半世紀以上。特にパンク・ロックへの造詣が深く、1980年6月に新宿の「ツバキハウス」でスタートした『LONDON NITE』は現在も続くDJイベントで、その影響力は計り知れません。2025年1月には『HISTORY OF KENSHO ONUKI 大貫憲章 回顧録』を出版。毎週金曜日の24時からinter FMで『Kenrocks Nite – Ver. 2』が放送中。

インスタグラム @kensho_onuki

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