今日の古着ブームよりはるか昔、あらゆるカテゴリーにおける時系列や様々な仕様変遷がまだ解明されていなかった時代から、往年のライフスタイルやカジュアルガーメンツに着目し、それらを多角的に分析することで多くの史実を明らかにしてきた古着のスペシャリストたち。 デニム、ミリタリー、アスレチック、アウトドアといった各カテゴリーに精通する有識者たちを講師に迎え、歴史に名を残すアーカイブと、それらに紐づく背景や魅力にフォーカスする「古着予備校」。記念すべき第一回目は、「ベルベルジン」のディレクター・藤原裕さんが語る、〈リーバイス®︎〉のデニムジャケット。
講師
藤原裕
ベルベルジン ディレクター / ヴィンテージデニムアドバイザー
1977年生まれ。原宿の老舗ヴィンテージショップ「ベルベルジン」のディレクターを務めるほか、〈リーバイス®︎〉501®XXの歩みを世界ではじめて体系的にまとめたアーカイブブック『THE 501®XX A COLLECTION OF VINTAGE JEANS』、さらに近年のGジャンブームの端緒ともなった『Levi’s VINTAGE DENIM JACKETS Type l/Type ll/Typel lll』の監修人としても知られる日本が誇る世界的デニムマエストロ。
Instagram:@yuttan1977
Tバックブレイクの発端は常連さんからのオーダーだった。
はじめて手に入れたヴィンテージのデニムジャケットを覚えていますか?
もちろんです。最初に手に入れたのは高校生時分、地元の古着屋で俗に4thやType4と呼ばれる70505Eでした。先に501Eを手に入れていたので、ちょっと背伸びしてなるべく同時代のジャケットでセットアップを楽しみたいなと。506XX(Type1)や507XX(Type2)といった、さらに古い年代のヴィンテージにも当然興味はありましたけど、Type1が25~30万円、Type2は15万円ほどしていましたし、当時のぼくのお財布状況では高嶺の花でしたね。
その次に手に入れたのが、じつはType1だったと訊いていますが?
そうなんですよ。21歳で「ベルベルジン」に入り、翌年からバイイングにも行かせてもらうようになったのですが、とある常連様から「サイズが大きなType1ジャケットで背中が2枚接ぎになった個体があるらしく、もし見つけたら買いつけてきてほしい」というご依頼があったんです。もちろん、ぼく自身はまだそんな個体を見たことがなく、当時の大御所ヴィンテージディーラーでもあったジップさん(現HTCオーナーのジップ・スティーブンソン)なら彼自身も大きなからだをしていますし、何かしら情報を得られるんじゃないかと。
それで早速訪ねたところ「サイズ50のデッドストックを持っている」とのことで、背面がT型にセパレートされた個体を、その時はじめて目にしました。とはいえ、もちろん譲ってはもらえず、逆に「こんなに大きいの日本人は着ないだろうから、もし帰国後に見つけたらオレに譲ってくれ」と頼まれて。
逆オーダーされてしまったと(笑)。
それから背中が2枚接ぎになった大きいサイズの個体を国内でも私的に探し始めました。当時はまだ38や40といったジャストサイズが王道だったせいもあり、なかなか出会えない中、とある地方のショップにサイズ46ぐらいで色薄めの個体が出て。その頃はヴィンテージブームもやや落ち着き、Type1のジャストサイズでも薄めなら8万円から10万円ほどで買えた時代でしたが、その大きめの個体はさらに破格で出されていて。それがぼくの生涯初となるType1、後にTバックと呼ばれるモデルです。
それは常連さんに譲る目的で? それとも私物として?
私物として(笑)。
それは怒られるでしょ(笑)。
それを着て店に立っていたら、案の定「どういうこと?」となり、最終的にはその常連さんに譲るかたちになりました(笑)。とはいえ、関西はじめ地方の友人などにも大きな個体が出たら教えてほしい旨をすでに伝えていて、彼らのツテから次のType1のTバックをじつはすでに確保していたのですが、実際に届いてみたらサイズ50ほどあり、その当時としてはさすがにデカ過ぎるなと……。結局は仲間と割り勘で友人への誕生日プレゼントとしました。その次に手に入れたのは、たまたまウチ(ベルベルジン)に入荷したサイズ46ぐらいの47年モデルで、それも2年ほど愛用していました。その後、当時世界一とも賞されたハワイのヴィンテージショップが閉店するとのことで、国内倉庫の商品を全部ウチが買い取ることになったんですね。そこで出会ったのがいま現在も着ているTバック。買い替えを繰り返しながらいまに至ります。
2000年代初頭に起こった価格帯の逆転現象。
そもそもはジャストサイズが高価、ビッグサイズが安価だったワケですが、いつ頃からその価値基準が逆転していったのでしょうか?
ちょうどぼくが3着目となるType1を手に入れた頃、2004年から2005年頃だったと記憶しています。Type1の性質上、ジャストサイズで選んでしまうと、どうしても着丈が短くなってしまい、肩も落ちず、いまの感覚で合わせづらくなってしまいます。そんなことから、徐々に大きなサイズを求めるユーザーが増え、今日へと続く価格の逆転現象が起きたと考えられますね。
いまとなってはTバックというだけで数百万、コンディションによっては1千万円を超える個体もあるほどですが、90年代のヴィンテージブーム期においては、ジーンズはもちろんトップに君臨していたものの、デニムジャケットってじつはそれほど珍重されていなかったと思うんですね。そんなデニムジャケットがなぜ復権したと思われますか?
確かにヴィンテージブームの頃は、正直セットアップって若干気恥ずかしいというか、誰しも少なからず抵抗感があったと思うのです。それが2000年代初頭頃、当時〈テンダーロイン〉の辺見さん(現タイムウォーン クロージング)など硬派な先輩たちが着用した影響から再評価が進み、それまで古着を通っていない世代がヴィンテージデニムに興味を持ちはじめた。言わばリプロダクトからヴィンテージへ逆行する流れがあったんじゃないかと。実際同時期には、デニムジャケットに限らず、オマージュやリプロダクトのブレイクを経て、関連古着の需要が高まる現象が数多く見られました。
先駆者にして、もはや手を加えようのない優れた完成度。
とはいえ、他にも多くのライバルブランドやストアブランドだって数多く存在していますよね。そんな中にあっても〈リーバイス®〉に人気が集中する理由って一体なんなのでしょう?
やっぱりオリジネーターにして、もはや手を加えようのない優れた完成度に尽きると思いますね。1800年代後半からデニム生地を使い、当時は“ブラウス”とも呼ばれたワークジャケットにはじまり、正式には1900年代初頭からデビューとなったType1、そしてその後継モデルとなるType2、さらにワークからファッションへとフィールドを移し、いわゆる“Gジャン”のテンプレートとなったType3まで、いつの時代も多くの後続ブランドが類似したジャケットをつくるほど、突出したオリジナリティと優れた完成度を誇っていました。
Type1に見られる前開きダブルプリーツとワンポケットを採用したデニムジャケットを世界ではじめて展開したのも、ぼくの知る限りでは〈リーバイス®〉ですし、デザイン面でも常に先駆けであったと。
これからヴィンテージデニムジャケット沼に足を踏み入れるなら、やっぱり〈リーバイス®〉を狙うのが正攻法だと思われますか?
そうですね。とはいっても、即Type1やType2はさすがにハードルが高いと思いますし、まずはType4、70505Eを足がかりにするのがおすすめです。徐々に値上がりしているとはいえ、まだまだ安価でインディゴならではの経年変化も楽しめますし、細かいことを気にせずデイリーに着倒せるとも思うので。
ゴールドラッシュ、世界恐慌、第二次大戦、フラワーチャイルド、 激動の20世紀を彩ったリーバイス®ヴィンテージジャケット5選。
1900年代初頭に初代506XXがリリースされて以来、1966年に70505Eが登場するまで主に3つのモデルが展開されたが、近年になって解明されたイレギュラーな仕様もじつは少なくない。ここからは藤原さんのご私物をメインに、ヴィンテージデニムジャケットを選ぶ上で押さえておくべきポイントをおさらいする。
1942y LEVI’S 506XX E
物資統制前夜ながら生地は大戦仕様のTバック。
正式には1900年代初頭にデビューとなった通称Type1。第二次大戦が勃発した2年後にあたる1941年には全米に物資統制令が公布され、翌年より衣類にも様々な制約が課せられた。本モデルはそんな統制下の最初期、言わば過渡期に生産され、フラップポケットや前開きの5ボタンなど統制以前の仕様をかろうじて残しつつも、生地は大戦モデルの代名詞でもある粗織りデニムを採用しているのが見て取れる。なお、背面のシンチバックル、通称バックルバックも1941~1942年のわずか数ヶ月のみは黒く塗装されたものが使われているという。写真はビッグサイズのみに適用されるディテールで、背中が2枚剥ぎになった通称“Tバック”モデル。
Details
1944Y LEVI’S S506XX
簡素化を余儀なくされた大戦モデルの中期型。
1942年には衣類メーカーにも物資統制令が波及し、平時とは異なる様々な仕様変更が義務付けられた。モデル名の前に冠したSの頭文字は、英語で簡素化を意味するSimplifyの略。前開きが5ボタンから4ボタンへ、さらに軍配給品と同じ月桂樹ボタンが採用され、フロントポケットのフラップも撤廃、粗く織られたネップ感強めの生地が用いられた。1942年9月から戦後1946年までの約4年の間のみ生産され、その希少性の高さから世界的な高騰が続いている。レザーパッチがやや下めに縫製された本モデルは、俗にダウンパッチと呼ばれる大戦中期のもの。550万円(ベルベルジン)
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1947y LEVI’S 506XX
平時仕様へと完全復帰したType1の集大成。
1945年の終戦からも大戦モデルの製造は数カ月間続き、1947年に晴れてかつての仕様へと完全復帰した。とはいえ、もちろん戦前の個体と比較するといくつかの微差も見て取れる。針刺しタイプのシンチバックルは大きくなり、リベットに刻印された文字もややセンターに寄っているという。後継モデルとなる507XXの登場まで、およそ7年にわたり製造されたが、バックルの針がクルマのシートを傷付けると不評を集めたことから、後期モデルではスライドバックルへと変遷している。110万円(ベルベルジン)
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1953y LEVI’S 507XX
じつはType3登場以降も生産が続いた謎多きType2。
通称Type2の登場は1953年。フロントは2ポケットへ、背面のアジャスターはバックルからボタン仕様へと変遷し、1954年には〈リーバイス®〉謹製の証でもあるレッドタブの白抜きネームが両面に織られるようになる。1961年に登場するType3以降、通常なら廃番となるはずだが、近年になってType4以降に採用される小さめの紙パッチ仕様の個体まで発見され、その理由は定かではないものの、じつは60年代後半まで製造されていたと考えられている。アームホールの設計上、同サイズでもType1より着丈が短くなり、カフスボタンの上下が逆転するのも大きな特徴のひとつだ。
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1960’s LEVI’S 557
デザインを一新したモダンでスマートなType3。
今日のGジャンの雛形ともなった557通称Type3は、デニムがよりファッションと親和性を高めた60年代初頭、1961年にデビューした。身頃のダブルプリーツが撤廃され、ヨークからウエストへと流れるV型ステッチへとフルモデルチェンジを果たし、後継モデルとなる70505(Type4)の登場まで約7年間製造され、最初期は紙パッチに「Every Garment Guaranteed」が記載された通称557XXギャラ入り、続いて557XX、557、557-70505と変遷。また、メタルボタンが銅製へ、デニム生地は防縮加工を施したプリシュランク・デニムへと変遷している。