ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第4回目は〈ポータークラシック〉創設者の吉田克幸さんの半生を辿ります。
1. 映画に影響を受けた小学生時代。
父(吉田吉蔵)が東神田で鞄屋(吉田鞄製作所、のちの株式会社吉田)をやっていたので、ものづくりの環境が当たり前に身近にありました。子どものころは仕事している職人のところに行くと、危ないっていうんでよく怒られてましたね。こっちは小さいから、家業については特に何も思っていなかったですが、親父もおふくろも働き者で一生懸命やっていたのはいまでも記憶に残っています。
小学生のころから勉強嫌いだったけど、おふくろがよく映画に連れていってくれて。映画は好きでしたね。ディズニーの初期の作品『砂漠は生きている』(1955年日本公開)は帝国劇場で観ました。これにはびっくりしたなぁ。学校の何十倍もためになりました。
東神田には「鳥越ロマンス座」という名画座があって、そこにはひとりで行っていましたね。ここは全部洋画で6本立て。そこでおふくろが持たせてくれたするめをしゃぶりながら一日中ずっと映画を観ているのは楽しかったですね。こういう映画体験を通じて、衣食住に興味を持つようになりました。
住まいは普通の日本家屋で1階が店、2階が生活する場でしたが、おふくろが結婚前に駐英大使のところで花嫁修行をかねて女中をやっていたのもあって、結構ハイカラな食事が出てきました。思い返せばその時代にしては洋風な生活だったんじゃないかな。ただ、海外の文化に本格的に興味を持つようになったのは中学に入ってからです。
Profile
吉田克幸(ポータークラシック 代表)
1947年生まれ。1981年にはニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに日本人で初めて選出された。2007年に息子の吉田玲雄と〈ポータークラシック〉を設立し、刺し子文化など「メイドインジャパン」にこだわったものづくりを続けている。
HP:https://porterclassic.com/
Instagram:@porterclassic_official