スタイルの履歴書。 吉田克幸 #5

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki、Miyoko Hashimoto

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第4回目は〈ポータークラシック〉創設者の吉田克幸さんの半生を辿ります。

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5. 企画の仕事は職人さんあってこそ。

 1980年代の半ばあたりには雑誌やなんかに取り上げてもらう機会が増えて、そのおかげで若いひとたちが吉田のバッグを買ってくれているというのは感じていましたね。ただ自分は昔もいまも会社が儲かるとかそういうのは全然考えない人間なんですよ。

 バブルのころはひとりで毎日飲み歩いていました。誰かと一緒よりひとりの方が自由でいいんです。行くのは新宿のゴールデン街。名前はないんだけど通称「くみズ・バー」っていう店です。ここで錚々たる人たちとの時間を過ごしました。毎晩、シャンパン3本空けていましたよ(笑)。そのせいかどうかわかりませんが、この時期のあとで癌になって、酒もタバコも止めてしまいました。

 この時代も変わらず企画を務めていましたが、俺がやっている企画って仕事は職人さんがいてこそじゃないですか。死んだ父がよく言っていた「職人さんを大事にしろ」は吉田家の家訓。つくってくれるひとがいないと我々は何にもできないですから。そういう環境にいられたのはよかったと思います。

 海外生活のなかで探究心をもって体験したことは当時のものづくりにも生かされていますが、これはのちのち日本の伝統文化を再発見していくのにもつながっています。やっぱり好奇心は重要で、その気持ちを元に実践しないと。いまは身体が悪いのであちこちは行けないけれど、また日本に昔からあるいいものに触ったり匂いを嗅いでみたいですね。

  • 帰国後は株式会社吉田に籍を置き、企画部門を担当することに。現在の〈ポータークラシック〉にも通じるが、この頃から職人さんの大切さを実感するようになったという。その意識はいまも根付いており、日本の伝統文化の再発見などに繋がっている。

    帰国後は株式会社吉田に籍を置き、企画部門を担当することに。現在の〈ポータークラシック〉にも通じるが、この頃から職人さんの大切さを実感するようになったという。その意識はいまも根付いており、日本の伝統文化の再発見などに繋がっている。

Profile

吉田克幸(ポータークラシック 代表)

1947年生まれ。1981年にはニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに日本人で初めて選出された。2007年に息子の吉田玲雄と〈ポータークラシック〉を設立し、刺し子文化など「メイドインジャパン」にこだわったものづくりを続けている。

HP:https://porterclassic.com/
Instagram:@porterclassic_official