スタイルの履歴書。 吉田克幸 #3

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki、Miyoko Hashimoto

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第4回目は〈ポータークラシック〉創設者の吉田克幸さんの半生を辿ります。

3 13

3. 大いに影響を受けたロンドンの文化。

 暁星高校から日大芸術学部に進むんですが、学生運動の真っ只中というのもあって大学には全然行きませんでした。それで大学を辞めて1970年にドイツのシュトゥットガルトに行くんです。そこにした理由は鞄屋があったから。当時は渡航に身受け先が必要で、家業とつながりがあったからだったと思います。ただ、あんまり面白いことはなかったので40日ほどでロンドンに移ることに。

 初めてクルマを買って、それごとフェリーでドーバー海峡を渡って到着したロンドンは驚きの連続でした。同じヨーロッパなのになんでこうも違うのかと。「Mr. Freedom」や「BIBA」、それからダントツにかっこよかったのは「ZAPATA」。創業者がインドに行っちゃって、そのあとを継いだのがマノロ・ブラニク。ふたりとも着ているものがかっこよかったなぁ。これは大事なことなんだけど、当時はみんなお金がないから、蚤の市に行って安いものを買ってきて、それを自分たちで直してかっこよく着る。これが基本の文化なんだな。「ファッション」じゃなく「自分たちの着るもの」という意識で、それはいまでも勉強になったと思っています。自分も蚤の市にはよく行って実際に見て心が動いたもの––––ガラクタばかりですが––––を買っていました。おかげで目が肥えましたね。

 ロンドンでも変わらず映画を観たり、週末にパリまで遊びに行ったりしながら2、3年を過ごし、今度はニューヨークに移ります。

  • ドイツでの滞在は短く、1ヶ月ちょっとでロンドンに移ることを決意。現地のブランドや周りの人々に影響を受けることが多く、蚤の市にもよく通っていたという。ロンドンで撮影した写真から、当時の着こなしのムードが窺える。

    ドイツでの滞在は短く、1ヶ月ちょっとでロンドンに移ることを決意。現地のブランドや周りの人々に影響を受けることが多く、蚤の市にもよく通っていたという。ロンドンで撮影した写真から、当時の着こなしのムードが窺える。

Profile

吉田克幸(ポータークラシック 代表)

1947年生まれ。1981年にはニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに日本人で初めて選出された。2007年に息子の吉田玲雄と〈ポータークラシック〉を設立し、刺し子文化など「メイドインジャパン」にこだわったものづくりを続けている。

HP:https://porterclassic.com/
Instagram:@porterclassic_official