ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第6回目は〈ヒステリックグラマー〉のデザイナーであり、常に音楽と共に生きる北村信彦さんのストーリー。
04. 警備員に直談判して観た『さらば青春の光』。
ロックに興味を持ちはじめて、中学、高校のころは雑誌なんかで見たロック・ミュージシャンのオフのときの格好を真似するようになりました。当時行っていたのは古着屋。「赤富士」とか「シカゴ」、「サンタモニカ」、「HELLO」……、「VOICE」は少しあとになるのかな。好きなバンドがパンク系が多くて、そういう連中ってお金ないから50年代とか60年代の古着じゃないですか。だから自分もそんなのを探していましたね。
ザ・フーの『四重人格』(1973)を聴いていたころにモッズというものを知りました。それまでもサイケデリックやビートルズがあって、みんなそれっぽい格好をしてるんだけど、音楽とファッションって関連するんだという感覚は持てなかった。その感覚を得たのがモッズだったんです。それで『四重人格』が『さらば青春の光』(1979)というタイトルで映画になるというのを雑誌で知って、一般試写会があるというんで応募したんだけど外れてしまった。でもどうしても観たくて、友達と授業を抜け出して試写会場まで行って、警備員に直談判して入れてもらうことができたんです。映画にすっかりやられて帰りの電車で「よし、公開までに3つボタンのスーツとモッズ・パーカを探すぞ」と決めたんですが、3つボタンのスーツがどこを探してもなくて、ようやく「HELLO」で見つけることができました。この映画をきっかけにいろいろ拍車がかかったんですよね。
Profile
北村信彦(ヒステリックグラマー・デザイナー)
1962年・東京都三軒茶屋出身。1984年にアパレルメーカーのオゾンコミュニティに入社し、直後の21歳で〈ヒステリックグラマー
(HYSTERIC GLAMOUR)〉をスタート。40年以上音楽と共にあり続ける姿は、日本だけでなく世界中に多くのファンを持ち、数多くのミュージシャンやアーティストと親交が深いことでも知られる。
Instagram @nobuhikokitamura、@hystericglamour_tokyo