スタイルの履歴書。北村信彦 #5

Text: Kenichi Aono

Edit: Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第6回目は〈ヒステリックグラマー〉のデザイナーであり、常に音楽と共に生きる北村信彦さんのストーリー。

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05. ポール・ウェラーに財布を拾ってもらう。

 高校生のときにザ・ジャムの来日公演を中野サンプラザに観に行きました。終演後、裏の駐車場で煙草を吸おうと外に出たら、搬入口の前にたくさんのファンが出待ちしている。遠回りするのも面倒だったんで、建物沿いに行こうと向かったら、搬入口のドアが開いた。それでファンの女の子たちがそっちに詰めかけたもんだから、ぼくは押されて持っていたパンフレットと財布を落としてしまいました。そうしたらなかから出てきたポール・ウェラーが財布を拾ってくれたんです。

 財布のなかにピート・タウンゼントの写真の切り抜きを入れていたんだけど、ポールがそれを見て、ぼくのことをドアのなかに入れてくれました。で、入ったらブルース・フォクストンとリック・バックラーも例の黒いスーツを着たままそこに立ってて。持っていたパンフを取り上げて3人でサインしてくれたんです。何が起きたかわかんなくて、「サンキュー」のひとことも出なかったですね。


 そんな感じで音楽にどっぷりでしたが、中学の友達で高校を中退して美容学校に入学したやつがヘアメイク・アーティストの野村真一さんの「アトリエ・シン」にお世話になっていて。それで話を聞いたら、好きなミュージシャンと仕事で出会えるかもしれないという気になって、卒業したら自分も美容師になろうと決めました。進学先に選んだのは「山野美容学校」。そこくらいしか知らなかったし、近くにレコード屋も多かったからです。

  • 高校時代に撮影された1枚。令和では絶滅危惧種といえるヤンキーが当たり前だった、古き良き昭和を感じる写真です。

    高校時代に撮影された1枚。令和では絶滅危惧種といえるヤンキーが当たり前だった、古き良き昭和を感じる写真です。

  • 高校の同級生たちと。ファッションからも当時の時代感を窺うことができ、全員がシャツを着ている点も興味深い。

    高校の同級生たちと。ファッションからも当時の時代感を窺うことができ、全員がシャツを着ている点も興味深い。

Profile

北村信彦(ヒステリックグラマー・デザイナー)

1962年・東京都三軒茶屋出身。1984年にアパレルメーカーのオゾンコミュニティに入社し、直後の21歳で〈ヒステリックグラマー
(HYSTERIC GLAMOUR)〉をスタート。40年以上音楽と共にあり続ける姿は、日本だけでなく世界中に多くのファンを持ち、数多くのミュージシャンやアーティストと親交が深いことでも知られる。

Instagram @nobuhikokitamura@hystericglamour_tokyo

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