Text: Kenichi Aono
Edit: Yusuke Suzuki
ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第6回目は〈ヒステリックグラマー〉のデザイナーであり、常に音楽と共に生きる北村信彦さんのストーリー。
01. 『20世紀少年』のような少年時代。
世田谷の三軒茶屋2丁目生まれで、家は環七と246と世田谷通りに囲まれたエリアの真ん中あたり、三軒茶屋小学校の目の前でした。『巨人の星』の星飛雄馬や『ど根性ガエル』のひろしの家みたいな長屋です。平屋なんだけど台所からはしごみたいな階段があって、そこを上ると屋根の上に物干し台がある––––ほんと、昭和のマンガに出てくるような家でしたね。そこに両親とおじいちゃんおばあちゃん、妹の6人で暮らしていました。
同い年の子だけじゃなく、近所のひとつ、ふたつ違いの仲間とつるんで遊ぶ毎日。空き地を見つけたらそこに基地をつくったり、まだドブ川だった蛇崩川沿いを探検したりと、まさに『20世紀少年』の世界でした。
小学校1年生くらいのとき、ビー玉がはやったんです。近くにあった丸山公園の砂場で砂山をつくって、その砂山にいろいろ仕掛けを施したコースをつくり、そこにビー玉を走らせて勝ったやつがビー玉をもらえる、という遊び方でした。砂山は上級生がつくるわけなんだけども、ぼくは横から「こういうのはどう?」と口出ししてたんです。それで面白がられていつのまにかつくる側になっていましたね。雨が降るとちょっと広い家に住んでいる友達のところに行って、画用紙をつなげて大きくして、そこに水槽の絵を描いていました。うちもだし、ペットは飼えない、水槽も置けないというやつも多かったので、そんなふうに想像上の水槽をつくったんですね。
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北村さんが生まれた1962年は、ビートルズとボブ・ディランがレコードデビュー。日本では首都高速道路最初の供用区間となる京橋〜芝浦間が開通したり、金田正一が通算3,509奪三振の世界新記録を樹立した年。
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家族でどこかへ旅行に行き、母親の腕の中にいる北村さん。
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遊園地で遊ぶ北村さんと父親。
Profile
北村信彦(ヒステリックグラマー・デザイナー)
1962年・東京都三軒茶屋出身。1984年にアパレルメーカーのオゾンコミュニティに入社し、直後の21歳で〈ヒステリックグラマー
(HYSTERIC GLAMOUR)〉をスタート。40年以上音楽と共にあり続ける姿は、日本だけでなく世界中に多くのファンを持ち、数多くのミュージシャンやアーティストと親交が深いことでも知られる。
Instagram @nobuhikokitamura、@hystericglamour_tokyo
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