ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第6回目は〈ヒステリックグラマー〉のデザイナーであり、常に音楽と共に生きる北村信彦さんのストーリー。
02. 小学校の途中で三軒茶屋から春日部市へ。
小学校1、2年のころだったか、ヒットしていた「黒ネコのタンゴ」とB面の「ニッキ・ニャッキ」という曲を聴いたあとに続けて、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を聴くっていうのがぼくらのなかで流行っていました。ただ聴くんじゃなくて、雨戸を閉めて暗くした部屋中にマットレスや布団をしきつめて、そこにみんな突っ伏して、で、「OK?」「OK!」なんて合図出してから「帰って来たヨッパライ」をかける。あの曲、最後の方にお経が入っているんだけど、いま思えばそういうのも含めて最初のサイケデリック体験でしたね。そのころは妖怪だとかオカルトもブームで、現実とは違う世界への興味があったんだと思います。
そんな三軒茶屋での子ども時代でしたが、小学生の途中で一家で埼玉の春日部の新興住宅地に引っ越すことになるんです。三茶の下町みたいなところからなんでそんな田舎に引っ越さなくちゃいけないんだ、と思いましたね。当時はまだまだ田んぼや畑もあって、三茶では見たことのなかった風景でした。
中学はぼくらが入学する年からの新設校で、校章や校歌はできてなくて、最初は制服もなかった。ぼくらの代のほか、隣の学区から移ってきた上級生もいました。リーゼント頭の3年生がスプレーで“CAROL FOREVER”とか壁に描いてるのを見て「ダッセェなぁ」なんて思っていましたよ。こっちはそのころにはすでに洋楽にハマっていましたから。
Profile
北村信彦(ヒステリックグラマー・デザイナー)
1962年・東京都三軒茶屋出身。1984年にアパレルメーカーのオゾンコミュニティに入社し、直後の21歳で〈ヒステリックグラマー
(HYSTERIC GLAMOUR)〉をスタート。40年以上音楽と共にあり続ける姿は、日本だけでなく世界中に多くのファンを持ち、数多くのミュージシャンやアーティストと親交が深いことでも知られる。
Instagram @nobuhikokitamura、@hystericglamour_tokyo