長谷川昭雄の対談連載
まじめに働いてんじゃねーよ!!(仮) Vol.02 蔡俊行 前編
ファッションディレクター、スタイリスト。英国の雑誌『モノクル(MONOCLE)』の創刊より制作に参画、ファッションページの基礎を構築。2014年には同誌のファッションディレクターに就任。2012年から2018年秋まで雑誌『ポパイ』のファッションディレクターを務めた。2019年よりフイナムと共同でファッションウェブマガジン「AH.H」をスタート。
編集者。「Commune H」編集長、「HOUYHNHNM」の発行人であり、統括編集長。株式会社ライノ代表。
仕事についての対談連載「まじめに働いてんじゃねーよ!!」。今回の舞台は今年4月にオープンしたばかりの代々木上原の「ØC tokyo」。ここは長谷川さんが最近よく通っていて、お気に入りのお店だとか。
カジュアルでリラックスした雰囲気で行われた対談の相手は、当サイトの編集長であり、「HOUYHNHNM」を運営する「株式会社ライノ」の代表取締役である蔡俊行。なんでも長谷川さんは蔡にずっと聞いてみたいことがあったようで。
今日はよろしくお願いします。
はい、お願いします。
普段からお酒はよく飲まれるんですか?
結構飲むね。
どこで飲まれるんですか?
外にご飯食べに行ったときだったり、自宅だったり。
ワインが多いですか?
そうね。二人で一本飲むくらいがちょうどいいんだけどね。たまに飲みすぎちゃう。
これまでは軽く挨拶するくらいの間柄だったとのことなので、こうしてお二人でしっかりお話するのは初めてだそうですね。蔡さんは80年代の後半から90年代の前半にかけて、マガジンハウスの『POPEYE』でエディターをしていたので、長谷川さんと共通の知人も多いのかなと思います。
そうだね。
僕は前々から、蔡さんがページを担当してらした『POPEYE』の「ニューイングランド特集号」についてお話を聞いてみたくて。
なんか恥ずかしいね。
この号、すごく思い出深くて、当時すごい読んだ記憶があります。僕だけじゃなくていろんな人がすごくいいって言ってます。
あ、ホント? 嬉しいな。
この号の蔡さんのページは、前後の号に比べてだいぶビジュアル性が高いですよね。
そうなのかな。なんでこういう号になったのか、あんまり覚えてないんだよね。せっかくロケに行ったから色々ページをもらったのかもしれない。
後半の取材ページとかも、すごいなと思って。
たしかに取材して文章書いて、企画から何から何まで全部一人でやったね。
こういう海外ロケって、社員編集も行くじゃないですか。このときはどなたが行ったんですか?
芳雄さん(鈴木芳雄氏。元『BRUTUS』副編集長、通称フクヘン)。
そうなんですか!
そう。この号が出た(1991年)前の年に、アメリカのボストンに半年くらい住んでたんだよね。
それって大器さん(鈴木大器氏。ENGINEERED GARMENTSデザイナー)もボストンに住んでいたっていう時ですか?
そうそう。
なるほど。ベースがあったんですね。
で、日本に帰ってきてから、企画を出して行ったんだと思う。細かい経緯はもう忘れちゃったな。
ボストンは楽しかったですか?
楽しかった。春から秋までのちょうどいい季節で。当時はデルタ航空のチケットに「スタンバイパス」っていうのがあって。初めて使った日から30日間有効で、その間は飛行機に乗り放題っていうやつ。400ドルだったかな。
全世界行けるんですか?
アメリカ国内だけ。アラスカとハワイ以外ならどこでも行けるの。“スタンバイ”だから満員だったら乗れないんだけどね。国内線のゲートの手前のカウンターで待ってて、名前を呼ばれたら入って。あの頃は飛行機がそこまで混んでなかったから、いろんなところに行けたんだよね。
いいですね。
知り合いの結婚式でロサンゼルスに行って、そのあとアルバカーキ、サンタフェに行って、そのあとフロリダとか。自由だよね。
誌面にもそういう、いろんなところに遊びに行ってた感じが出てますよね。
そうかもね。
では、ここからは「ØC tokyo」のおまかせコースをいただきながら、お話をしていただきます。料理はコペンハーゲン帰りのシェフ、田井將貴さんが担当されています。
90年あたりは結構、喜多尾(祥之氏。長谷川昭雄さんの師匠にあたるスタイリスト)さんがスタイリングしてますよね。
そうだね。スケちゃん(スタイリストの祐真朋樹氏)と喜多尾のツートップってイメージがある。
あとは康一郎さん(スタイリスト山本康一郎氏)とかですかね。一生物みたいな企画で、康一郎さんがモデルをやってて、ほかにも〈HYSTERIC GLAMOUR〉の北村(信彦)さんとかがモデルになって、自分の私物を着て出る、っていうページ覚えてますか?
あぁ、あったね。蓮井(幹生)さんがカメラで。
そうです、そうです。
あの企画はキャスティングがよかったよね。当時、蓮井さんとよく仕事してたな。よく8×10で撮ったりしてた。今は息子さん(蓮井元彦氏)も写真で活躍されてるよね。
そう考えると『POPEYE』って自由でしたよね。フォーマットとかがあるわけでもないし。
そうだね。なんでも大丈夫だった気がする(笑)。カメラマンが「8×10でいこうよ」って言えば「いいっすね」みたいな(笑)。いい時代だよね。
蔡さんが『POPEYE』をやることになったきっかけってなんだったんですか?
Kさんなんだよね。
あ、そうなんですね。
ちょうど〈TUBE〉を辞めてぶらぶらしてたときに、Kさんから電話がきて。それまではブランド側の人間として編集部にはちょこちょこ行ってたけど、そこから『POPEYE』に出入りするようになって。
それでいきなり原稿書いたりしたんですか?
そう。多少直されたりしたけど、すぐに対応できたね。そのうち香港号の特集があるっていうことで、その取材班としてノミネートされたんだけど、まだ社歴が浅いってことで社歴の長い人に役目が変わって。「フリーランスに社歴とか関係ないでしょ」って、Kさんがすごい怒ってたなぁ(笑)。
そのとき蔡さん、おいくつくらいですか?
26歳とかじゃないかな。
すごいですね。
〈TUBE〉にいたときは、貸出も担当してたから、スタイリストの人たちはみんな顔見知りで。そういうのもあってやりやすかったのかも。
というか、蔡さん〈TUBE〉にいらしたんですね。
そう。斎藤(久夫)さんのところにいた。
僕、斎藤さんにはお会いしたことなくて。
たぶんそんなに前じゃないんじゃないかな。
すごいメンバーですよね。
昔「BEAMS」でバイトしてたこともあるから、この会のメンバーはわりとみんな知ってるんだよね。
そうなんですね!
「BEAMS」の7周年のときだったかな。
「BEAMS」の創業が1976年なので、1983年ですね。
蔡さんは足掛け何年ぐらい『POPEYE』にいたんですか? 4〜5年とか?
もうちょっとやってたかな。
その頃って『POPEYE』以外もやってたんですか?
『Begin』をちょっと手伝ってた。岸田(一郎)さんに頼まれて。
岸田さんって『LEON』を立ち上げられた?
そう。当時、煩悩、煩悩ってよく言ってたね。つまり欲を求めるネタをやる、っていうことだと思うんだけど。あと、コスパっていう言葉を岸田さんから初めて聞いたのはよく覚えてる。
「ハッスル」(ライノ社の前身)を作ったときには、『POPEYE』はもうあんまりやってないんですか?
基本はそうだね。たまに呼ばれたりとかはしてたけど。
「ハッスル」は元々 エージェンシーですよね。
そう、マネジメントだね。あの頃『POPEYE』の編集長が変わって、それまで活躍してたスタッフをあんまり使わなくなっちゃって。自分が連れてきたスタッフを使うっていうか。まぁ野球とかサッカーの監督と一緒だよね。
なるほど。
そういう外部環境があって、仲が良かったメッケ隊(スタイリストの坂井達志氏、古田ひろひこ氏、坂崎タケシ氏によるユニット)を引き連れて作ったって感じかな。あとはちょうど30歳を過ぎた頃で、自分の会社を作るかっていう気持ちにもなってて。
若いですね。ということは、さっきのニューイングランド号のときはいくつなんですか?
1991年だから、28歳かな。だから今のうちのその年代のスタッフを見ていると、ちょっと遅いなっていう気持ちにはなるんだよね。
時代的に当時はみんなそういう感じだったんですかね。
そうだったと思う。だってスケちゃんなんて俺よりも若いけど、このときもうエースだし、喜多尾だってそうだよね。
みんないろんなことをしてたんでしょうね。たくさん遊んでたというか。
そうだね。いろんなところに行ってたしね。このあとに強(スタイリストの野口強氏)が入ってきたのかな。
僕が好きだった『POPEYE』ってちょうどその頃までなんですよね。そのあとはなんかエロ本みたいになってきちゃって、だんだん嫌になってきて。あとその頃、ファッションも変わってきていて、それまではわりとアメカジが多かったんですけど、『POPEYE』はそのあとモードとかハイファッションの方にいったんですよね。
そんな感じだったね。
当時の自分にはその感じがあんまりわからなくて。
裏原の出始めくらいですよね。93年とかそれくらい。
「NO WHERE」とか大行列してたもんね。その頃メッケ隊は『asayan』をやってたな。
『asayan』見てました。
ふざけたことしてたよ、ホントに(笑)。デッツくん(デッツ松田氏。編集者、クリエイティブディレクター)がバリバリやってたよね。
右近(亨氏『Them Magazine』編集長)さんは、その頃放送作家の方がメインですかね。
そうかもね。『POPEYE』もやってたけど、ファッション企画じゃなくてモノクロページがメインだった気がする。右近さんはとにかく文章がめっちゃ面白いんだよね。
わかります。オチがちゃんとあって、素晴らしいですよね。
そうだね。俺の知ってるなかでも確実にベスト3には入る、素晴らしい物書きだね。昔は雑誌のレイアウトもパソコンじゃないから、紙に書いていくじゃない? で、企画のリード文とかって凸凹させるために、一列ごとに文字数が違ったりするんだけど、右近さんは指定の文字数にぴったり合わせて書いてくるんだよね。あれは本当にすごかった。みんな驚いてたよ。
すごいですね。どうやったらそんなことができるんだろう。
プロ意識だよね。デザイナーからの指定を挑戦と受け止めてたのかわからないけど(笑)。
リリー(フランキー)さんも『POPEYE』でコラムを書いていて、いろいろ伝説があるんですけど、僕が聞いたのは担当編集が電話で話を聞いて、原稿にまとめていくんだけど、それが最後ちゃんと文字数通りにピタッと収まるっていう(笑)。
笑
最近、どこか海外行かれました?
アジアとかそういうところばっかりだね。あとはハワイとか。刺激になるような新しいところにはあんま行ってないかな。昔はとにかくいろんなところに行ってみたいっていう好奇心があったけど。今だったら、南アフリカにはちょっと行きたいな。あと、スペインにももう1回行きたいかな。
長谷川さんは、海外はヨーロッパが多いですか?
『BRUTUS』をやってるときに、ヤマケイさんによく連れてってもらってたんですよね。
あぁ、ヤマケイね。
はい。モロッコとか、スペインとか。そういうところってなかなか行けないじゃないですか。だからあのとき行けてよかったなって思います。やっぱりファッションだと、どうしてもLAかロンドンとかが多いので。
そうだね。モロッコはどこに行ったの?
タンジェです。
マラケシュじゃないんだ。
行きたいですけど、なかなかそこに行く勇気がないですね。
治安? 以前行ったことあるけど、そんなにひどくなかったよ。
そうなんですね。スペインはバルセロナと、あとマヨルカ島がよかったですね。
あぁ、〈CAMPER〉の。
食事の時間がすごく遅くて、22時ぐらいからスタートするんですよね。昼間はみんな寝てるから、始まるのが遅いっていう。バルセロナとかも、小さい飲み屋がたくさんあって、そこをハシゴして。
バスク地方のサンセバスチャンとかもそういう感じだよね。ピンチョス食べて、チャコリ飲んで、バルホッピングして。最近はどっか行った?
夏にスウェーデンに行きました。
いいね。
何もないんですけど、 みんな優しくてよかったですね。最近の日本って、例えばXとかThreadsとかひどいじゃないですか。人のことをすごく悪く言ったりして。
そうだね。あんまりいい感じではないよね。夏に北欧に行ったってことはずっと明るかったんじゃない?
そうなんです。 夜の9時まで明るいからずっと撮影できちゃって。最終的にすごく疲れました(笑)。
そうなるよね。逆に冬はずっと暗いしね。それでみんな落ち込んじゃって。だから家具とかライトが発達したって言うよね。〈louis poulsen〉とか。
北欧にすごく小さいミニチュアの陶器とかがあるんです。昔に作られたもので。それがすごくいいんですよね。
へぇ。大人のままごとみたいな感じなのかもね。
そうかもしれません。
スウェーデンって、人口1000万人ぐらいしかいないんだけど、グローバルブランドがたくさんあるよね。〈IKEA〉とか〈Electrolux〉、〈SAAB〉、〈VOLVO〉とか。
ファッションでも〈Acne Studios〉とか〈OUR LEGACY〉、フレグランス系だと〈BYREDO〉とか。それぞれ固有の特性があって面白いですよね。日本ってどうしてもアメリカがベースになってくるじゃないですか。それとは違う視点があって面白いですよね。
小国だからマーケットを世界に向けていて、韓国もそういう感じだよね。自国のマーケットが小さいから、グローバルに向けていくしかないっていう。
そうですね。韓国の勢いに日本はだいぶやられちゃってますよね。音楽もファッションも。この先、どうなっちゃうんだろうって思います。
こないだソウルに行ってきたんだけど、面白かったね。すごく盛り上がってたし、かわいい店が多かった。
最近、本当心配に思うんですよ。経済力というか国力みたいなものが下がってきてるなって。。
娘さん、おいくつなんですか?
今、27歳かな。仕事でまずはダブリンに行って、そのあとロンドンオフィスにも行って、そのあと休暇をもらってパリに行ったらしいんだよね。体感的に物価が日本の3倍くらいに感じたって。でも彼らからしたらその逆だもんね。だから国力は本当に落ちてる。なぜこうなったのか、理由は色々考察はできるけど、ちょっと手の施しようがないよね。
政治が変われば、変わるんですかね。
やっぱり頭が固い人がいる間はなにも変わらないだろうね。コペルニクスの地動説じゃないけどさ。その時代の常識が常識ではなくなるときってあるけど、人の考えはそう簡単に変われない。変わるのは当時の人がいなくなってからだって言うもんね。だから日本が変われるのは、一世代先かもね。
今、iPhoneの11を使ってるんだけど、最新の機種っていいモデルだと20万円くらいするんだよね。そうなるとほとんど初任給みたいな感じだよね。
蔡さんはあまり新しいものを買わないですよね。
いや、そんなこともないと思うんだけど。まぁApple Watchは4だけど(笑)。
最新モデルは10ですからね(笑)。
笑。でもWEBマガジンとかをやってると、古いモデルのことも知っておかないと、みたいなところありますよね。みんなが常に新しいものを持っているかっていうと、それはそれで違うというか。話しが合わなくなってきそうです。
そうね。常に最新ではないよね。「最新こそ最良」っていうのは、ポルシェのキャッチコピーなんだけど、まぁそう言っておかないと開発できないしね。そういう話を大器としてたら「いやそれは違う。古いものにもいいものはある」なんて言われて喧嘩になってさ。いや、そういうことじゃないじゃんって(笑)
笑
でも、たしかに古いものというか中古品は好きだね。家具とかはほとんど中古品だし、クルマとかバイクもそうかも。
そういうのって、何かに影響を受けたりしたんですか?
そういうわけじゃないと思うけどね。ただ昔から古着は好きだったな。まだヴィンテージがそこまで確立されてなくて、知ってる人だけが知ってるっていう時代。XXのデッドストックが5万円ぐらいで。20代前半くらい。
すごい時代ですね。。
今も、渋谷駅近くの「フクラス」の近くに銀行があるんだけど、当時毎週末そこで風呂敷を引いて、古着を出してた人がいたんだよね。
へぇ、その人はアメリカから買ってきたりしてたんですかね。
どうなんだろう。価値がわからないまま古着を売ってただけっていう感じだったけど。でもそういう時代だったから、いろいろなところに行って古着とかを探すのが楽しかったな。
後編に続く。
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