スタイルの履歴書 斎藤久夫 #09

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

REGULAR

ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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09. 企画会社を立ち上げた28歳。

 会社を辞めて企画会社「デュプロマン」を立ち上げたとき、帝人、日清紡、それからある機屋さんが、何もしていないのに俺と1年間契約を結んでくれました。ひとつふたつ仕事をして650万円くらい稼げて「会社にいるより全然いいじゃん」と思ったものです。帝人からは「ミツミネ・スポーツというブランドを立ち上げるからそのプランニングをやってくれないか」と言われたので引き受けることに。これがなんと1200万円の仕事。帝人だからスケールが大きいよね。

 ダーバンにいた同級生を辞めさせて引き入れ、ふたりで紙と鉛筆だけで年間5000万円稼ぎました。当時は1年に2回、2週間くらい休暇を取って、ふたりでアメリカやヨーロッパに買い物旅行に行っていましたね。イタリアの「バルバス」でよく買い物してたんだけど、そこの社長が「今度うちのデザイナーがデビューするんだ」と言ってて、それがジョルジオ・アルマーニ。1975年のことです。

 同じころ、イタリアがヨーロッパの服の生産地としての側面を持っているのを知ります。有名メゾンや高級百貨店、高級衣料品店の服はイタリアでつくっているんだと。また、イタリアは中小企業がいろんなミシンを開発していて。ハンドステッチをミシンでできるようにしたのには驚いたなぁ。いまだにすごいですねイタリアのものづくりは。簡単に上手く作るし、ちゃんと資金や人材の投資もするし。そこが日本とは全然違うんだな。

  • 映画『コレクター』に出演していたテレンス・スタンプが好きで、編集者が声をかけてくれて『BRUTUS』の取材に同席したとき。

    映画『コレクター』に出演していたテレンス・スタンプが好きで、編集者が声をかけてくれて『BRUTUS』の取材に同席したとき。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。

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