HANG OUT VOL.6

Chapter 01

2025.4.10

Text:Yataro Matsuura

Edit:Yusuke Suzuki

HANG OUT VOL.6

HANG OUT VOL.6

パリの朝、走ることのしあわせ。松浦弥太郎

“ランニングでととのう”という特集を考えたとき、編集部で松浦弥太郎さんの名前があがった。著書である『それからの僕にはマラソンがあった』を手にして読み、走るひとは共感を、そうでないひとは走ることへの第一歩を踏み出す背中を押してもらったかもしれません。特集のテーマであり、走ることで身体も心もととのえる、いまの松浦さんの言葉。

Chapter 01 | Yataro Matsuura

 どこに行くにしても、旅には必ずランニングのセットを持っていく。 秋に訪れたパリは、雨がちらつく日が多く、早朝は吐く息が白く、空を見上げると、明けの金星がきらめいていた。  

 宿泊した16区は、閑静な街並みが美しく、気の向くままに走っていると、古い教会や、歴史を物語る遺跡、まるで城のような邸宅などに出くわた。未知のパリが発見できる楽しみがあった。適度に起伏があるので、肌寒い朝でもすぐに身体はあたたまった。

 パリの道は硬い石畳が多い。クッション性の高い厚底シューズで、足をしっかりと着地させて、力まずに歩くように走る。常にセーヌ川の位置を頭に入れながら、さまようように一人で走る。いつしかこのひとときがパリでいちばんの楽しみになっている。

 右岸から左岸へと足を伸ばす前に必ず立ち寄るのが、まだ誰もいない早朝のトロカデロ広場だ。きらめく日の出に照らされていくエッフェル塔を眺める醍醐味は何事にも代えがたい。

 こんなふうに、毎朝一時間半ほど走ると、街が目覚めはじめる時間になり、宿近くのカフェがオープンする。

 ランニングウェアのまま、初老のウエイターに朝のあいさつを交わすと、笑顔でいつもの席を目で合図される。近所に暮らす常連が集まりはじめ、そのほとんどはエスプレッソを立ち飲みしながら、朝のおしゃべりを楽しむ。平均年齢は六十代。そうしていると、カフェ・クレームとクロワッサンがウエイターのウインクとともにテーブルに置かれる。滞在中、毎朝、同じ時間に、同じものを注文していると、いつしか席も固定となり、自然とこうなるのがパリのすてきかもしれない。 

 早朝のパリを存分に走ったあとに、気を使うことのない行きつけのカフェで、焼き立てのクロワッサンをカフェ・クレームにひたして食べる朝食。旅をし、走り、こうした朝のひとときを味わいながら、静かに自分と向き合い、いつしか抱え込んでいる、余計なこだわりやいらない力み、どうしようもない不安や心配を一つひとつ整理し、少しずつ本当の自分を取り戻していく。

 旅の朝。こんなふうに心と身体が軽くなっていくのを感じながら、自分自身に戻っていくのを確かめる自分がいる。 走ることとは何かと問われたら、ぼくは一人になること、自由を感じること、そうすることで、ありのままの自分を受け入れ、自分らしく生きることを育むことだと答えたい。そう、自分を飾らずに、かぎりなく素直でいられる自信を持つことにつながっていく。

 おのずとファッションや趣味、暮らしに主体性が生まれ、誰とも違う世界観が表れ、本当の意味での健やかさが作られていく。

 日本に帰り、今日もぼくは走る。四月になったら再びパリを訪れ、秋はニューヨークだ。

 そこにはどんな朝があるのだろう。そう思うだけで、ささやかなしあわせを感じる自分がいる。

 最近の気づきのひとつに「走り方とは生き方である」がある。

松浦弥太郎

エッセイスト。クリエイティブディレクター。「暮しの手帖」編集長を経て、「正直、親切、笑顔」を信条とし、暮らしや仕事における、たのしさや豊かさ、学びについての執筆や様々な活動を続ける。著書に「今日もていねいに。」(PHPエディターズ)「しごとのきほん くらしのきほん100」(マガジンハウス)「正直、親切、笑顔」(光文社)など多数。

Instagram:@yatarom

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