Chapter 02 | My first long trail
はじめてのロングトレイルに行ってきた。 はじめてのロングトレイルに行ってきた。

HANG OUT VOL.1 LONG TRAIL

はじめてのロングトレイルに行ってきた。

日本のロングトレイルを語るうえで欠かせないのが、加藤則芳さんという人物だ。自身が歩いたアメリカのロングトレイルでの体験をまとめた著書『ジョン・ミューア・トレイルを行く』『メインの森を目指して』などを通じて、日本にロングトレイルという存在を広めた先駆者。そんな彼が中核となって生まれたのが、信越トレイルだ。今回はその一部を歩く2泊3日の山旅。ロングトレイルと呼ぶには可愛い規模感だけど、同行する編集部の柴山にとっては人生初のロングトレイル。十分に刺激的な非日常を味わえるはずだ。

Chapter 02

2024.08.28

Photo:Eriko Nemoto

Text:Takashi Sakurai

Edit:Hideki Shibayama

HANG OUT VOL1
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About SHIN-ETSU TRAIL

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信越トレイルは斑尾山から苗場山までの総延長約110キロのロングトレイル。美しいブナ林などの自然の魅力だけでなく、里の文化や歴史にも触れられるコース設定で、海外からも多くのハイカーが訪れている。今回歩いたのは10あるセクションのうちの6~8。伏野峠から結東までの総距離約38キロ。

Day 1

スタート直後から美しいブナがお出迎え。

「どこがロングトレイルの面白みなんですか?」

同行する編集の柴山がいう。トレイルランニングを趣味にしているものの、歩きでの山旅は初めて。彼にとっての人生初ロングトレイルだ。

考えるな、感じろ、ということで信越トレイルへ。とはいえ今回のメンバー全員、信越トレイルははじめて。具体的なルートは、信越トレイルを管理・運営している「NPO法人信越トレイルクラブ」の佐藤さんに相談することにした。

「町を経由するというのもロングトレイルの醍醐味だと思うんです」という佐藤さんの提案は、伏野峠から入って、一度、栄村へ下り、最後は牧場を含むロード歩きがメインとなる2泊3日のコース。

全行程を一気に歩ききることをスルーハイクといい、信越トレイルだと一般的に9泊10日かかる。今回は日程の関係で、一部だけを歩くセクションハイク。ある意味良いとこ取りができる歩き方でもあるし、セクションハイクを繰り返して全行程を歩ききる人も多い。長期間の休みを取りにくい日本人にも向いているかもしれない。

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森宮野原駅から、スタート地点である伏野峠までタクシーで向かう。この時点でだいぶ標高を稼いでいるから、楽できるなぁなんて考えていたら、歩き始めからまさかの激坂。

信越トレイルは、道のり自体は決してラクな部類ではないと聞いていたが、いきなりの洗礼だ。生活用具一式を詰め込んだバックパックの重みにもまだ慣れていないから、息が上がらないギリギリのペースでゆっくりと歩みを進める。

400メートルほど続いた急登を終えるとフラットな道に出る。周りは見事なブナ林だ。この日本屈指のブナ帯も信越トレイルの見どころ。たくさんのブナの実を落とすため、動物たちの食糧源にもなっている。ちなみに、ブナの実は熊の大好物でもある。巨木も多い。なかでも目を引くマッチョなブナがいる。枝が普通のブナの幹ぐらいある。

「道がふかふかで歩きやすいですね」

編集柴山がいう。これもブナの葉っぱが敷き詰められているおかげなのだが、突如として泥んこゾーンが出現。足を置く位置を間違えると足首まで埋まる。この信越トレイルはボランティアも多数参加してのトレイル整備が毎シーズン行われているが、豪雪地帯ということもあって、トレイル整備もものすごく大変なのだ。

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森の隙間からときおり眼下が見下ろせる。遠くには日本海。そんな景色に見とれながら歩いていると、ぐわっといって、前を歩いていた編集柴山が急に立ち止まる。

巨大蜘蛛の巣。そのまま突っ込んでたら1日ブルーになるレベルだ。そしてクモからしてみたら、数日かかったであろう一大事業を台無しにされてしまう。巣を慎重にかわしながらゆっくりと通過する。

初日は、短めに設定していたので、14時頃にはキャンプ地である「野々海高原テントサイト」に到着する。今日の行動時間は約5時間。ログを見てみると、細かいアップダウンがまるで心電図のように波打っている。

「キャンプ地、ビールは売ってないっすよね」

汗だくになった編集柴山が阿呆のようなことをいう。当然のように、そんなものはない。ソフトドリンクの自販機すらない。そっちはちょっとだけ期待していたんだけども。

まあ、不便を楽しむのだ。断じて強がりではない。

この日のキャンプ地は貸し切り。ブナに囲まれ、ロケーションも最高だ。

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それにしても大事に持ってきたビールの旨さよ。街場で飲んだら即クレーム級にぬるくなったビールがなぜこんなに美味いのか。それはおそらく抑圧があるからだ。

変に聞こえるかもしれないが、ロングトレイルの魅力のひとつもそこにあると思っている。

シャワー、ふかふかのベッド、肉汁したたるステーキ、そしてキンキンに冷えたビール。日常では当たり前に享受している、そんな他愛もないものたちが、強烈なスペシャル感で輝き出すのだ。

抑圧からの解放。これはおそらくロングトレイルに限らず様々なことに当てはまると思っている。安易にラクな道に走ってしまうと、きっと同時に感動も失うことになる。

テントを張り終わったら自然のなかでの宴会がはじまる。ジンや焼酎を詰めこんだ重たい荷物を背負って山を歩くのも、自然のなかで飲む酒がなにより好きだからと言っても過言ではない。いまではフリーズドライ食品もすっかり進化して、それこそレストランクオリティのものもあるから、食事に関しても不満はない。いい時代になったものだ。

カメラマンいわく、夜中に熊の気配がしたらしいけど、酔いが回りすぎてまったく気がつかず爆睡。これも酒の効能か…。

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Day 2

町に下り、贅の限りを尽くす。

「ここはATっぽいです。あっちの場合、広がっているのは田んぼではなく牧場ですけど」

アメリカ三大トレイルのひとつ、アパラチアントレイル(AT)を歩いた経験を持つカメラマンが、眼下を指差していう。実はこの信越トレイルがモデルにしたのもATなのだ。

この日も序盤は美しいブナの森を歩いてく。湾曲したブナが目立つ。このあたりは冬になれば8mもの積雪がある豪雪地帯だ。その雪の重みによってブナの幹が曲がる。豪雪地帯ならではの風景ともいえる。ブナは保水力が高いことでも知られていて、緑のダムと呼ばれたりもする。雪解け水をしっかり保水するから、沢の急な増水を防ぎ、里で氾濫するのを防いでくれるのだ。

色も落ち着いていてよい。幹のグレーと葉の緑のコントラストが美しい。風が吹くと、ざわざわと心地よい音をたてる。

この日もアップダウンがあるからなかなかタフな道だ。 ただ、道中ではクワガタも見つかるし、ご褒美も多めだ。その最たるものがキノコ。

まさにキノコ天国。タマゴタケ、チチタケ、そして巨大ポルチーニまで、目を下に向けるたびにキノコが居る。キノコが多くいる森は良い森だ、というキノコ博士の言葉を思い出す。

「こんなにキノコを見たの、人生はじめてかもです。走ってたらぜったい気付かないですね」

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山から下りると、急に視界が広がる。美しい棚田をのんびりと下っていく。このあたりの里は、日本屈指の米どころとしても有名な場所。美味い米が育つのも、元を辿ればさっきまで歩いていたブナの森に行き着くのだ。山がしっかり保水することで、栄養分がたっぷり詰まった水が里に恵みを届ける。普段意識しないそういった繋がりを体感できるのも歩き旅のよさだ。こういう里山を歩くのも信越トレイルの魅力。海外から歩きにくるハイカーのなかには、山と里の近さに驚嘆するひとも多いという。

そういえば歩き始めて2日間、平日ということもあるのか、トレイル上では誰とも出会っていない。隔絶感のあるいいトレイルだ。歩く、という単純作業を繰り返すことで、日常のノイズが遠のいていき、どんどんシンプルになっていく感覚がある。

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とかいいつつ、この日のゴールである森宮野原駅に着くなり煩悩爆発。

コ、コーラをくれ…

ところが駅前の自販機がまさかの故障中!

さっきまで文明から離れるよさがあるよねえ、なんていっていたくせに、近くの道の駅までダッシュする始末だ。

「こんな美味いコーラはじめてっす」

編集柴山とともに腰に手を当ててコーラを一気飲みした後は、トンカツ定食になだれ込み、温泉まで堪能。シャワーのとろけるような気持ちよさ。たかが1日入ってないだけでこれなんだから、1週間とか入らないスルーハイカーたちの心地よさは想像するだけでゾワっとする。1日目のビールの話に繋がるけど、まさに抑圧からの解放理論のあらわれだ。

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この日は森宮野原駅の吉楽という民宿泊。宿の夕食がまたたまらない。よく太ったイワナの唐揚げに、ソテーされた熊肉。地のモノに舌鼓をうつ。クジラの脂と夕顔という冬瓜の一種、ジャガイモを使った夕顔汁という郷土料理も絶品だ。脂のコクがあり、塩気の強い味噌汁という感じで、疲れた体に染み渡る。

「みんな野外で何泊もしてきてるでしょう? だから、ここでは満腹になって欲しいのよ。ハイカーさんたちって本当に美味しそうに食べるから、つくりがいもあるしね」

宿の女将さんがいう。なんてハイカーウエルカムな宿なのか。里におりて欲しいという信越トレイルクラブの佐藤さんの言葉は間違いなかった。不便があるからこそ、便利のありがたさが身に染みるのだ。

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DAY 3

トレイル上のエンジェルたち。

ついに最終日。この日の行程は舗装路が多めだ。人々の生活の中を通り抜けていくのもロングトレイルらしい。

畑を通り過ぎたところで、作業していたおばあちゃんに声を掛けられる。

「今日、山いくのは暑いでしょうに〜」

これ、持っていきな、と巨大キュウリを手渡してくれる。

どばーんと広がる田んぼロードをしばらく歩くと、中子という集落に着く野菜の無人販売所に自販機もある。さっそくコーラを買ってちょっと長めの休憩を取る。

この中子集落は看板がちょっと独特。

「熊との出会いに注意しましょう」

出会い…? なんかあんまり怖くないぞ。

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途中で編集柴山が、さっきおばあちゃんにもらったキュウリにかぶりつく。トレイルでは、生の果実、野菜がめちゃくちゃ効くのだ。昨日、道の駅で購入していたトマトジュースも染みる。

これも抑圧からの解放? いやいや、このあたりのトマトはすごく有名で甘味も旨味も濃い。このジュースの原材料もずばりトマト、以上。ちなみにトマトに含まれるリコピンという成分は、日焼けなどにも効くというからハイカーにピッタリだ。

振り返ると、集落の向こう側に昨日まで歩いていた山々が彼方に見える。よくこれだけ歩いてきたもんだと、ちょっと自分を褒めたくなる。

そこからは牧場歩きが続く。人里離れた牧場で、まるで北海道に来たかのような錯覚を覚える風景だ。が、いかんせんピーカンの天気。遮る物がなにもないから、日が雲に隠れるだけで涼しさを感じる。普段だったら気にも留めない雲の動きを意識するようになる。

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「牛かわいい〜」

こちらが眺めていると、どんどん近寄ってきてくれる。が、牛を驚かせない距離感を保つものハイカーのマナーだ。しかも、近づき過ぎるとゲップ直撃の恐れがあるので要注意。吸い込んだらかなりスタミナを持って行かれる強烈さだ。

ときおり吹き抜ける風が心地よい。見上げると気持ち良さそうに空を舞う鷹の姿がある。このあたりでは上昇気流に乗って、複数のタカが竜巻状に旋回上昇する鷹柱という珍しい現象も見られるという。

トレイルを歩くといつも思うのが、人間はけっして強い生き物ではないということだ。鷹のような翼もないし、風雨から守ってくれる毛皮もない。走るスピードも激的に遅い。人間は、自然に対してもう少し謙虚になる必要がある。最小限の道具で野外を歩くことで、道具に頼らないと生きていけないということを、逆説的に実感できるのだ。

最後は美しいブナ林を下って行く。ブナではじまりブナで終わる、素晴らしいトレイルだ。

トレイルを歩き終え、帰路で利用するデマンドタクシーの待ち時間。ベンチに寝転がりながら、編集柴山に初トレイルの感想を聞いてみる。ってか、ブヨ刺されハンパないじゃん! 短パンで歩くからだよ。

「痒いを通り越して、痛いですけどね(笑)。荷物も重いし、最初はかなりキツかったです。でもゆっくり歩くことで、普段気にもとめないものにも目が行くようになって、発見ばかりの3日間でした。トレイルランでよく行く高尾山は走るものだと思ってましたが、今度はゆっくり歩いてみようかな」

帰路のクルマはあっという間に今日歩いたのと同じくらいの距離を進んでいく。でも、トレイルを歩いた後だと、ザマアミロとちょっと舌を出したくなる気持ちになる。同じ距離の移動だとしても、時間をかけた分だけその濃さは段違いだ。

アメリカのネイチャーライターであるエドワード・アビーがこんな言葉を残している。

「歩くことはクルマなどに比べると時間がかかる。歩くことは時間を拡大し、人生を長引かせることなのだ。人生は短いのだから急いでも無駄なのだ」

そう、それこそがロングトレイル、徒歩旅行の魅力だ。

ロングトレイル経験者に話を聞くと、ほとんどすべてのひとが発する言葉がある。

「できることならずっと旅を続けていたかった」

これには強く同意する。2泊3日でも旅の終わりが物悲しいのだから、これを数ヶ月続けたスルーハイカーの寂しさは想像を絶するものがある。

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そんなことを考えながら、2日目の宿でもあり、クルマを置かせてもらっていた旅館へと戻ってきた。

女将がひょっこり顔をだし、満面の笑みで出迎えてくれる。

「暑かったでしょう。帰りにちょっと部屋で涼んでいきなよ〜。シャワーは?」

あ、浴びたいっす。

Tシャツから盛大に塩を吹いていた身からしたら、もう女将が天使にしか見えない。

本場アメリカのロングトレイルでは、トレイルエンジェルなるものがいて、ハイカーたちにビールを振る舞ったり、宿泊させてくれたりする文化があるという。

でも、信越トレイルにもいるじゃないか。最高のトレイルエンジェルが。

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