88 PLACES IN SHIKOKU

Chapter 6

2024.09.06

Text:Yusuke Suzuki

Edit:Yusuke Suzuki

HANG OUT VOL1

88 PLACES IN SHIKOKU

お遍路だってトレイルだよ。

ロングトレイル=長い距離を歩くことと考えると、日本でもっとも有名なロングトレイルのひとつは、お遍路じゃないだろうか? およそ1400キロの道のりを、ただ歩き続けた人だけが出会える風景や交流がある。心と身体を鍛え、自分と向き合えるお遍路へ行ってみたい。

Chapter 06 | The Shikoku Pilgrimage is also a trail.

PROFILE

ロバート・シブリー

ロバート・シブリー

オタワ・シチズン紙のシニア・ライターであり、カールトン大学で政治学の教鞭を執る。2005年春に徒歩でお遍路をまわり、オタワ・シチズン紙にて『The Way of Shikoku』と題した連載を執筆し、2013年には 『The Way of the 88 Temples – Journeys on the Shikoku Pilgrimage-』 として出版されました。

  • ロバートさんが実際に歩きレンズを向けた、お遍路の道や風景の一部。日本ならではの自然を感じられたことが、外国人のロバートさんの記憶に深く残っているそう。

四国八十八ヶ所、1400kmをただ歩く。

時計の針をおよそ1200年前に戻し、場所は四国。弘法大師空海が修行をし、“四国八十八ヶ所霊場”を開創したと伝えられている。

その御跡である八十八ヶ所の寺院などを巡礼することが、お遍路。

四国の文字通り、徳島・高知・愛媛・香川の4つの県をまたぎ、すべての行程を歩くことを“通し打ち”と呼ぶ。その総距離はおよそ1400km。成人男性でおよそ40〜60日間かかると言われている。カジュアルな服装で歩く人も多いが、お遍路と聞いて白衣・袈裟・金剛杖を持つ姿を頭に思い浮かべる人も少なくないだろう。

クルマや自転車に公共交通機関を使いながらお遍路をまわる人が多いなか、通し打ちを選ぶ人は少数派。さらにお遍路自体、ここ数年歩く人が減少していると言われているが、外国人の通し打ちは増えていて、なんと全体の40%を超えるというデータも。

ロバート・シブリーさんは、2005年の春に通し打ちを達成したそのひとり。カナダで幼いころから日本のラジオを聴き、大学で本格的に日本文学や歴史を勉強。2000年にキリスト教の巡礼ルートであるカミーノ・デ・サンティアゴを歩き、ロングトレイルの虜になったロバート・シブリーさんが、次なる長い旅の目的地としてお遍路を選んだのは、自然であり必然だった。

「ずっと昔から日本に魅了されていて、その発端は北極圏上のマッケンジー川沿いの小さなコミュニティである、イヌビクに住んでいた少年時代に遡る。1950年代後半、そんな極地にはテレビもラジオもなかったので、父が簡単な鉱石ラジオを作ってくれ、それがわたしが世界を知るきっかけだった。ごく稀に日本語のラジオも受信することができ、とても離れている日本の人々の声が聞こえることに驚いたが、同時に日本がどこにあるのかを知りたくなった。

大学で三島由紀夫、夏目漱石、川端康成、大江健三郎などの作品を読み、日本の歴史を学んだりしたことで、日本への興味が深まり、禅の瞑想も試みたよ。これらの体験が、私が最終的にお遍路へ行く準備になっていたのは、言うまでもないだろう」

  • 妻白大明神は豊作・商売繁盛・延命息災などを叶えると伝えられる大明神。今から1200年前、弘法大師が歩いたときの姿が現在もそのまま残る唯一の遍路道である『空海ウォーク』も。

自然の美しさと厳しさ、そして人間のやさしさ。

お遍路には巡礼する人々は弘法大師とともに歩いてるという考えから、“接待”と呼ばれる文化がある。各地に地域や個人が運営している接待所や善宿所という一宿を無償で提供する場所があるだけでなく、一般市民がお遍路さんに声をかけて食べものを提供したり、自宅で休憩させるなんてことも。それは外国人であるロバート・シブリーさんにとっても、お遍路を経験したなかでとても大きな出来事だった。

「親切で助けてくれる人々(美容師や郵便局員など)と出会い、外国人のお遍路に驚かれながらも多くの人々が接待をしてくれた。そして、1日の終わりに冷たいビールと温かいお風呂を楽しめたよ」

四国の緑豊かな谷を歩き、何世紀にもわたって多くの足によって削られた道を踏みしめ、ときに山の尾根に立てば、目の前に広がるのは海と空と大地のパノラマ。日差しが差し込む竹林の静けさと孤独を味わったと思えば、豊かな稲と蓮の畑を歩き、永遠に続くかのような砂浜でくつろぎ、風に吹かれた岬に登って遠く下にある泡立つ岩々に目を奪われたり。そんな日本の美しい風景を歩けば、年齢や国籍など関係なく心を揺さぶられるのは当たり前のこと。

それはロバート・シブリーさんにとっても同じで、最大のよかった経験は、山の中で木々に囲まれた静寂と静けさを感じた瞬間だったそう。お遍路を歩いたのちに『The Way of the 88 Temples – Journeys on the Shikoku Pilgrimage-』を出版したロバート・シブリーさんは、その瞬間を著書のなかでこう記している。

「わたしは四国遍路を6週間以上歩いた。長い距離を歩き、最後に終わりが見えてきたことが信じられなかった。巡礼がわたしの生活の中心になっていたのは当然で、毎日20〜30キロメートル歩くことは、身体だけでなく心にも影響を与える。風景や天候、鳥のさえずりと祈りの中で、私の心はゆっくりと変化していった。今では、もっと重要なことを見つめるようになったよ。

その日も同じで、地理的にも迷子だったし、感覚的にも迷子になっていた。湿った杉の香り、青い藤の花、アザレア、スミレ、日の光が差し込む木々の間を歩き、サヨナキドリの歌声が響く道を歩いた。しかし、その日の本当の贈り物は心の旅だったんだ。自分の身体が汗だくで岩を乗り越える最中、自分の魂が浮いて、俯瞰で自分を見ている感覚があった。過去6週間の記憶が頭の中で再生され、カナダでの本来の自分の生活に距離を感じ、その時わたしの心は真の巡礼者の心になっていたよ」

  • 桜やお地蔵さんに古道など、日本らしい風景を存分にたのしめるのもお遍路の醍醐味のひとつ。四季のなかでどの季節に歩くかで、それぞれ違った表情を見ることができる。

他では得られない、身体と精神の旅。

お遍路を歩くなかで出会う、何世紀も変わらずにあり続ける自然や人々のやさしさ。ときには悪天候や歩き続けることで生じるカラダへの負担など、ネガティブな要素も。ただ、お遍路=長い距離を長い時間をかけて歩く経験を得た前と後では、ロバート・シブリーさんにこんな変化を与えた。

「歩くことの遅さは、心の流れも遅くする。記憶や喪失、悲しみや喜びの自分、日常の雑音にとらわれている時には聞こえない、もうひとりの自分の声が聞こえてきたんだ。

長距離を歩くことは、肉体的世界と精神的世界との関係を変える。石やアスファルト、泥や水、木々や花、雨や太陽といった物理的な存在が常にあることで、心の旅を誘発するんだ。時には、歩いている間に頭の中で奇妙な旅をすることも。この旅で出逢った仲間や、自分が道中で経験した心と身体の旅を忘れたことは1度もない。

深い記憶はそれぞれの寺院ではなく、孤独な歩行者として寺院の間を歩いていた時の記憶が鮮明に残っていて、何年も経った今でも、日本の森をハイキングしている瞬間にフラッシュバックすることがあるくらいだよ」

2008年に再びサンティアゴ・デ・コンポステーラを歩き、2015年にはドイツ南部の黒い森のトレイルを1ヶ月間歩いたロバート・シブリーさん。機会があれば、イングランドのカンタベリーからローマまで続く巡礼ルートである、フランチジェナのイタリア部分だけでも完歩したいと考えているそう。そして、いつかは日本最新の長距離ルートで10,000キロを誇る『みちのく潮風トレイル』を、もし実現が難しければ日本最初のロングトレイルである『信越トレイル』に行きたいと心に秘めている。

「お遍路は身体と精神の旅の両方を含んでいる。わたしの場合、スペイン、日本、ドイツと異国の地を巡り、文化的な違いに気づかざるを得なかったが、トレイル自体に違いはほとんど、あるいはまったくないよ。

わたしが歩いた道は平原と山、森と農地、小道と舗装道路が混在していた。どれが簡単であるとか難しいとか言うことはできない。それでもわたしの1番好きな巡礼路を尋ねられたら、四国遍路がトップにくるよ。おそらく、それは心理的な日本への愛着がわたしの生活に深く根ざしているから。

“どこにいるかを教えてくれれば、君が誰であるかを教えてあげる”と言う古いことわざがあるでしょ? 四国遍路を好む理由は、子供の頃に日本のことを初めて聞いてからずっと変わらないね」

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