河村康輔の、
「Tシャツって人生だ」。
-Vol.01- ALTERNATIVE TENTACLES
連載1回目に登場するのは、ハードコア・パンクバンドのデッド・ケネディーズ(Dead Kennedys)のボーカルである、ジェロ・ビアフラが設立した音楽レーベル『オルタナティブ・テンタクルズ・レコード(Alternative Tentacles Records)』のTシャツ。この1枚はデッド・ケネディーズのロゴやアートワークを手がけた、アメリカを代表するコラージュアーティストのウィンストン・スミスが出会いのきっかけ。まずは時計の針を20年以上前に戻します。
「自分にとってデッド・ケネディーズは、高校生のころからアイドルみたいな存在。そんなデッド・ケネディーズのロゴなどを手がけたのがウィンストン(スミス)で、まだ20代前半のころに紹介してもらい、知り合えることがあったんです。当時はいまみたいに好きな仕事で食べれていないけど、サンフランシスコにはよく行っていて。
最初は安いホテルに泊まっていたら、「ホテルに泊まるのももったいないから、うちにどれだけいてもいいよ」ってウィンストンが言ってくれて、アトリエの一角を部屋にしてくれたんです。テレビを置いて冷蔵庫を置いて、電子レンジも置いてくれて。結局1ヶ月くらいいたんじゃないかな?
その時にアトリエのトルソーに着せられていたのが、このTシャツで。『オルタナティブ・テンタクルズ・レコード』はもちろん好きですけど、その部屋に馴染みすぎていて、当たり前にあるものとしてそこまで気にしていなかったんです」。
「それから(サンフランシスコへ)行ったり来たりを繰り返すようになるんですが、その間も『オルタナティブ・テンタクルズ・レコード』のTシャツはずっとトルソーに着せられていたままで。それから自分も35歳を超えたくらいから仕事が忙しくなり、10年くらい行けない時期があったんです。その間もウィンストンとはちょくちょく連絡を取ってたんですけどね。それで去年久しぶりにサンフランシスコへ仕事で行けることになって、ウィンストンに「いくよ!」って連絡したんです。
ウィンストンは自分がはじめて訪れたときから、サンフランシスコの中心部からクルマで2時間くらいの電気も水道も通っていないような山に別荘みたいなものを持っていて、コロナ以降そこに拠点を移していて。そんなウィンストンの家へ行く前日にサンフランシコに着いて、10年ぶりだから懐かしくてひとりでフラフラ散歩しながら、泊めてもらっていた当時のアトリエのあった場所に行ってみたんです。
いまは半分アトリエでもう半分は友だちに貸していて、レコード屋みたいになっていて。中に入って「うわー、超絶懐かし〜」とか思っていたら、次の日に会う約束していたウィンストンがアトリエに入ってきて(笑)。「(ベッドとテレビがないだけで)変わってないね、懐かしいね」なんて2人で話しながら、そろそろメシでも行こうってなったんです。そうしたら当時から置いてあったTシャツを着せたトルソーから急に、その着せてるTシャツを取って「おい、これ持っていけ」って。
えっっっっっ、なんで(はじめて目にしてから)20年以上経ったいまなの????ってなるじゃないですか(笑)。いまは昔より古着とかの知識も増えてるし、「こんな貴重なTシャツ、もらっていいの??」って聞いたら「おまえが持ってたほうがいいから」って言ってくれたんです。
それでクレジットを見たら1983年って入ってて、めっちゃ古いじゃんと思ったら「このTシャツのバージョンはこれしかない」ってウィンストンが言うんですよ。「???」って思ってよく見たら、いまのロゴの三角形の目の形と違っていて。いまは三角形の目が吊りあがってるけど、これはフラットなんですよ。1番最初はフラットなバージョンだったらしく、そこから(ジェロ)ビアフラが「もっと激しい感じで目を吊り上げようぜ」って言ったみたいで、その後に(ウィンストンが)吊り上げたらしいんですよ。だからその後の目が吊り上がったのが世に出回ったやつで、この三角形のバージョンはこれしかないらしいんですよ。Mサイズだから袖を通した時点で破れそうな音がしてやめたんですけど、XLだったら普通に着たいんですよね(笑)」。
1979年・広島出身のグラフィックデザイナー・アーティスト・〈UT〉のクリエイティブディレクター。Tシャツへの想いは「ファッションのなかで1番好き。毎晩寝る前にヤフオクとメルカリ、あといつも買っている新品のバンドT屋さんをチェックしています」。@kosukekawamura