スタイルの履歴書 斎藤久夫 #13

Text:Kenichi Aono

Edit:Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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13. このブランドを再生させるのはデザインじゃない。

〈MEN’S BIGI〉のディレクターをやるのは1993年ですが、実はタケ先生が〈MEN’S BIGI〉にいた終わりのころにも1度頼まれたことがあったんです。そのころ、ショーの前になるとタケ先生が多忙を極めてまわりも大変だと聞いていて、そんなことじゃダメだよと本人に言ったら「じゃあ斉藤くんやってよ」と。このときはもちろん断って、今回も断るつもりだったけど、現場の人たちがやってきて引き受けることにしました。

 当初はデザイン契約という話だったんですが、3ヶ月くらい社内をいろいろ見て、このブランドを再生させるのはデザインじゃないなと気づき、昔から培ってきた〈MEN’S BIGI〉のいいイメージを踏襲しながら新しいこともやろうと、デザイン契約でなくディレクターで携わることにしたんです。

 コスト削減や人の適正な配置、ブランドの整理を行いながら再生に向けてやっていたなかで、あるときテリー伊藤さんが「斉藤さんのブランドで『アサヤン』(テリー伊藤が総合演出を手がけていたテレビ東京の『浅草橋ヤング洋品店』。のちに『ASAYAN』)でショーやってよ」と。自分のブランドでやるのはイヤだったから断ったら「じゃメンビギはどう?」というのでやることにしました。人のブランドだったらいいや、って(笑)。その影響で「メンビギ、いいよね」となってきた。同じ頃、売り場にインポートものを導入したのもいい方向に作用しましたね。

  • 斎藤さんが手がける服は、目で見て耳で聞いて手で触れてきた経験と膨大な知識から生まれる、大量生産にはないクリエイションが魅力。

    斎藤さんが手がける服は、目で見て耳で聞いて手で触れてきた経験と膨大な知識から生まれる、大量生産にはないクリエイションが魅力。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。