スタイルの履歴書 斎藤久夫 #14

Text:Kenichi Aono

Special Thanks:Yusuke Suzuki

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ファッションでも音楽でもスポーツでも、どんなジャンルもその人にしか出せないスタイルがある。“Style is Everything”。そう、だれかが言った、スタイルがすべて。『スタイルの履歴書』は、文字通りスタイルのある大人へのインタビュー連載。毎週月・水・金曜更新で、第1回目は〈TUBE〉の斎藤久夫さんをゲストに迎えて。

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14. MEN’S BIGIを離れる準備。

 俺が〈MEN’S BIGI〉に携わっていた時代はインポート・ブランド、セレクトショップが人気で、〈MEN’S BIGI〉も昔のようにデザイナーを全面に出してということはせずブランドを再構築していきました。パタンナーをイタリアに視察に行かせたりして、自分がいなくなってもやっていけるように改革したんです。店舗の出店先も変えて、デザイナーにもきちんと服のコストを把握させました。

 そんなふうにして2、3年経ったあるとき、出入りしていた商社のなかに気になる若者がいたので「話がしたい」と声をかけたのが坂田くん(坂田真彦。アーカイブ&スタイル代表)。「〈MEN’S BIGI〉でやらない?」と口説いて入社してもらいました。坂田くんには「人の倍、働け。そうすればきっとリーダーになるから」と言って。実際、彼は一生懸命努力してそうなりました。よく物事を見て、売れるものをつくれるようになった。

 坂田くんは才能があったし、俺からはあんまりいろいろ言う必要はなかったんだけど、唯一言っていたのが、自分の意見をしっかり伝えるということ。彼は上から何か言われるとそれをそのまま聞いてうまいこと売れるようにつくれてしまう。でも、売れるものをつくるだけでなく、さらにその上の目指して欲しかったんです。そうしてどんどん坂田くんに仕事を任せていって、そのおかげで俺は最後の1年は何もやらずに済んだし、すんなり辞めることができました。

  • 自分で素材を探してコラージュでつくったネタ帳の一部。斎藤さんの頭の中を少しのぞかせてもらったような貴重なもの。

    自分で素材を探してコラージュでつくったネタ帳の一部。斎藤さんの頭の中を少しのぞかせてもらったような貴重なもの。

Profile

斎藤久夫(チューブ・デザイナー)

1945年、東京都本郷出身。自身のブランドである〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーであり、大手セレクトショップやブランドのアドバイザリー、ディレクター業務を歴任。