河村康輔の、「Tシャツって人生だ」。
-Vol.03- AMOK BOOKSのTシャツ
これ、もともとは中原(昌也。※小説家・音楽家・画家など、ひとつのジャンルに収まらないアーティスト。サブカルを嗜むひとにとって重要人物のひとり)さんのものなんですよ。(中原さんとは)すっごい長い付き合いで、なんだったら1番古いくらい。そんな中原さんが病気になった時にチャリティーで(中原さんの)私物Tシャツとかを売ったときがあって。ネットに告知が上がったんですけど、この「AMOK BOOKS」のTシャツは「これだけはやっぱり売らないで」って中原さんが言ってたみたいで、それで「ロスアプソン(LOS APSON? ※現在は高円寺に構え、世界各国の音楽やZINEなどを扱うショップ)」の山辺さんが「中原くんのあれは出さないで」ってなったんです。ええっ、めっちゃほしいんだけど!!!!って思っていたから、中原さんに会った時に「あの「AMOK BOOKS」のTシャツめっっっちゃ欲しいんで、買わせてもらえないですか?」って聞いたら、「いいよ、河村くんだったら」って言ってくれて。他に5枚くらいのTシャツとまとめて売ってくれたんですよね。
中原さんは、21歳ぐらいの時に初めてDVDとかのパッケージをやらせてもらっていた、ホラー映画の超インディペンデントな映画のレーベルで文章を書いていて。そこで知り合ってからの付き合いで、ずっと昔から知ってるし、37、38歳くらいまでの17年間くらいは、毎年必ず年越しは中原さんとしてました。21歳くらいのときに新宿のゴールデン街で呑んでたら「(年末は)実家帰らないの?」って聞かれて。「金ないし帰れないっすよ」って答えたら、「あっ、マジで?? じゃあ正月は東京いる?」ってなったから「東京で暇してますよ」って、それから12月31日に会ってイベントとかへ行き、年をまたいだら千駄ヶ谷の鳩森神社に2人で初詣の参拝をして「じゃあ今年もよろしく」って、朝8時ぐらいに解散するっていうだけなんだけど(笑)。
その頃ちょうど暴力温泉芸者の活動から(中原さんは)Hair Stylistics(※中原昌也が音楽活動をする時の名前で、これまでにリリースしたCD-Rシリーズのタイトルは200作以上!)変わったくらいのタイミングで、一緒に大阪のライブについて行ってより仲良くなりましたね。ある時、中原さんが書いた『子猫が読む乱暴者日記』という本の文庫化が決まったんです。本の装丁なんて1回もやったことがないのに、「中原さんの方から文庫の装丁をやってほしいって指名来てるんですけど、やっていただけますか?」って、急に河出書房の編集の方から連絡がきて。お金全くないの知ってたんで仕事をくれました。まだギャラは覚えていて、5万円でした。当時5万なんて貰ったこなかったから「えっっっ!」っびっくりしましたよ。中原さんのおかげで、その年のスタートはお金に困らなかったですね。
そんな中原さんから「AMOK BOOKS」のTシャツを売ってもらったのは、(中原さんが)退院した時だから2年くらい前かな。たしか一昨年の1月か2月とか、冬だった記憶です。これはもう、相当手に入れるのは大変。そもそもは、ただの本屋の物販Tシャツなんですけど(笑)。「AMOK BOOKS」は殺人モノとか死体系とか、サブカルのダークなものを出版するLAのレーベルであり本屋で、いまはもう無いんですよ。めちゃくちゃハードコアな、知る人ぞ知るって感じですね。自分がネットカフェでバイトしてた20年以上前に知って(AMOKのサイトを)見ていたんですけど、LAに初めて行った時にはすでにお店は無くなっていて、お店には行けずじまいなんですよね。
このTシャツは着てると、反応するひとは反応してくるんですよね。めちゃくちゃコアなひとだけですけど(笑)。このTシャツにも元ネタがあって、それがこの『AMOK FOURTH DISPATCH』。カタログですね。この5thで最終的にカタログは終わっちゃうんですけど、それまで1から4までシリーズで出していて。内容はすごいカルト系の「AMOK BOOKS」で売ってる本とかの通販カタログです。まだネットがいまみたいに当たり前になるの話ですね。このアステカ(文明)やマヤ(文明)を彷彿させるフォントとか超かっこいいですよね。カタログの見せ方も面白くて、このTシャツは面白くて当時14ドルですよ!? ボディ代にちょっと足したぐらいですよね。カタログはデッドストックのものを、Amazonができたころの1999年に買いましたね。いまこれだけネットとかでなんでも買える時代ですが、この「AMOK」のTシャツはなかなか手にできないと思います。まあ、レアかどうかで着るわけじゃないんですけどね。
自分は中原さんもだし、根本敬さん(※漫画家やエッセイスト、『幻の名盤解放員』としての活動も。漫画雑誌『ガロ』を牽引した人物でもあり、後世に与えた影響は計り知れません)にも昔からすごくお世話になっているんです。ある時根本さんに「河村くんは作家になりなさい」って言われたんですよ。「グラフィック・デザインだけだと歳を取るとどうしても若い人に仕事が行って仕事が減ってキツくなる可能性があるけど、作家っていうのは一生の仕事だから。だからグラフィックだけじゃなくて、このコラージュで作品をつくりなさい。作家で名前が出ると一生仕事に困らないから、作家になりなさい」って。いまは年1回会うかどうかですけど、もう師匠みたいな存在なんです。自分は中原さんや根本さんのような先輩方に、かわいがってもらって今があるんですよね。
1979年・広島出身のグラフィックデザイナー・アーティスト・〈UT〉のクリエイティブディレクター。Tシャツへの想いは「ファッションのなかで1番好き。毎晩寝る前にヤフオクとメルカリ、あといつも買っている新品のバンドT屋さんをチェックしています」。@kosukekawamura