古着予備校
第二講:誕生から100余年の歴史を刻む世界で最も売れたスニーカー、コンバース。
講師:栗原道彦
ミスタークリーン代表
1977年生まれ。かつて原宿にあった名店「ロストヒルズ」でキャリアを積み、2011年よりフリーランスのバイヤーとしての活動を開始。年の半分ほどをアメリカでのバイイングに費やし、業界屈指の審美眼と新旧問わない圧倒的な知識量で絶大な信頼を集める世界に名だたるヴィンテージバイヤー。そのパーソナルコレクションはコンバースだけにとどまることなく、アウトドアやミリタリーなど多岐にわたる。奥渋谷には自身のショップ「ミスタークリーン」も展開中。
Instagram:@michihikokurihara
90年代の第一次ヴィンテージブーム時分は、〈コンバース〉のチャックテイラーやコーチといったオールスター表記以外のヒールパッチが採用された70年代以前の個体がヴィンテージの分脈で語られていたと思うのですが、いつごろからアメリカ製のオールスター全般がヴィンテージとされるようになったのでしょうか?
ぼくが初めてアメリカへバイイングに出た1996年だと、当時はまだインラインモデルのほとんどがアメリカ製でしたし、銀箱と呼ばれる80年代から90年代初頭頃のものでも異素材、迷彩等の柄物などの一部のモデル以外は安価で販売されていました。現行品がまだアメリカ製、またその新品が数千円で売られていた時代にわざわざユーズドを古着屋で買う人もいませんでした。その後、アメリカ製がなくなるタイミングでは日本国内の量販店等で在庫処分のセールに掛けられていましたね。先見の明があった人たちはそのタイミングで買い集め、後年デッドストックとして希少性が上がり、高値になった頃に売っていたイメージです。アメリカ製のものがユーズドでも見つからなくなってきた2000年代末辺りから徐々にヴィンテージとして扱われるようになったと思います。
とはいえ「〈コンバース〉の生産拠点がアメリカではなくなる」というアナウンスが前もってあったワケではないですよね。
もしかすると業界内の一部の方々は前もって知っていたのかもしれませんが、ぼくはアメリカ製から他国へと生産拠点が切り替わる前後で人づてに聞いたと記憶しています。とはいえ、他のブランドも徐々にアジアなどに生産拠点を移していましたから、ある程度予見されていたとは思いますね。
他国生産へと移ったのは、概ねいつころなのでしょう?
以前、古着サミットによる〈コンバース)の別注企画のタイミングでも話したと思いますが、オールスター C-2001、オールスター21というアメリカ製モデルが存在しているので、少なくとも2001年までは一部アメリカ製が展開されていたはずです。
ということは、2000年以降のことになりますね。生産拠点の移行以外に何か再ブレイクや高騰の要因は見られましたか?
それまでチャックテイラーやオールスターといえばローカットが、特にヴィンテージシーンでは主流だったと思うのですが、2000年代半ばから後半にかけて、スタイリストの野口強さんらの影響や、モード系の人たちに重用されたことでブラックのハイカットが注目されるようになりました。以降は極一部のモデルを除き、ローカットよりもハイカットの方が人気、価格、共に高くなったイメージです。
本国アメリカでも年々タマ数が減少傾向にあるということですよね。
そうですね。90年代末頃まではまだ80’Sオールスターのデッドストックがローズボウルなどでそれなりに出てきたり、99年にはテキサスのミリタリーショップの倉庫で銀箱のブラックを100数十足見つけて買い付けたりもしましたが、2000年代に入ると80年代以前のもののデッドストックは滅多に見つからなくなっていました。そして2000年代後半頃から日本のバイヤーがアメリカ国内に眠っていた90年代以降のアメリカ製のデッドストックを探しはじめ、いまとなっては日本に限らず世界的にも需要があるため、チャックテイラーのデッドストックともなると、数年に1足見つかるかどうかくらいにまで枯渇が進んでいます。また、アメリカに隣接するメキシコでは程度の良いユーズドスニーカーの需要が高いため、その中に混じって彼らに回収されてしまったヴィンテージも多いのではないかと思います。
タイでは2010年代半ばごろからアメリカ製ジャックパーセルの需要が急激に高まったようですが、そういった他国の需要も高騰に拍車をかけていると。
そうですね。それまでは世界的な相場は日本がベースになっていましたが、タイでの高騰以降はその影響が大きくなり、ジャックパーセルの中でも特に人気の高いネイビーやブラックの70s以前(トゥキャップ、サイドテープの上部がアッパーと同色のもの)のデッドストックだと、2000年代には10万円以下だったものが現状40~60万円くらいになっていますね。
本国アメリカのユース世代にも響いているのでしょうか?
日本市場向けの商材としては勿論扱われていますが、アメリカ人で古いスニーカーを履いている人を見かけることはほぼないですね。ローズボウルに出入りするようなゴリゴリヴィンテージな人たちも、足元はブーツや現行のスニーカーが主流です。そもそもヴィンテージスニーカーの市場自体がほぼないようなものというか。2000年代後半頃まではメキシコ人のディーラーがメキシコ国内で集めたヴィンテージスニーカーをローズボウルやローディアムといったLAのフリマに持ってきて、その売上で綺麗なユーズドスニーカーを買ってメキシコに持って帰るといった流れもあったのですが、そんなディーラーたちもヴィンテージスニーカーでは十分な利益を上げられなくなり、皆廃業してしまいました。90年代以前のスニーカーは衣類と比べてタマ数が少ない上、稀に見つかっても90年代のブーム時のような高値では売れないためにコスト、時間を掛けてヴィンテージスニーカーを集めているディーラーはほぼいなくなってしまいました。ことアメリカにおけるユーズドスニーカーの市場の中心はヴィンテージではなく、2010年代以降のジョーダンやイージー等、ハイプスニーカーがメインになっていますね。
そんな中にあってもオールスターが世界的に特別視される要因って一体何なのでしょうか?
ほとんどの古いスニーカーが加水分解やラバーの硬化等、経年劣化によって着用出来うるコンディションをキープできない中、オールスターやジャックパーセル等、〈コンバース〉のクラシックなモデルはそういった経年劣化によって履けなくなることがほぼないため、いまなお需要があるのだと思います。もちろん劣化が全くない訳ではないのですが、同年代の他社製スニーカーがアウトソールが硬化したり、逆に軟化したりして履けなくなる中、〈コンバース〉に限ってはそのレベルにまで至ることがほぼありません。ただ、これは購入時のひとつのチェックポイントになりますが、80年代から90年代前半頃のモデル、特に80年代のオールスターでしばしば見られる現象ですが、インソールに使用されている素材が硬化してクッションがなくなり、履いているうちに沈んで粉状になってしまうものがあります。しかも、その症状が出るのは両足ではなく片足だけっていうケースがほとんどなんです。なので上述のモデルを購入する際は、インソールの表面が硬化していないか、ちゃんと両足共に確認することをオススメします。
アメリカ製ではないもののすでにヴィンテージ扱いのもの、つまり“みなしヴィンテージ”もそれなりにあるのでしょうか?
他社同様、〈コンバース〉でも70年代後半頃からは本国であるアメリカ製以外のモデルが散見されます。例を挙げると韓国製のキャンバスのオールスターやスエード、レザー素材のコーチやジャックパーセル、あとはユーゴスラビア製のプロレザーなんかもありますし、厳密に言うとアメリカ製=ヴィンテージという訳ではありません。ただやはり2000年代以降、アメリカ製がなくなった後に製造されたモデルの中からヴィンテージとされるモデルはまだ生まれてきていないと思います。
1908年、マサチューセッツ州にて設立されたビーコン・フォールズ・ラバー・カンパニーを前身とする〈コンバース〉は当初、厳冬期の積雪環境でも作業可能なラバーシューズの生産を開始。閑散期の主力として考案されて間もないバスケットボールに着目し、世界初のバスケット専用シューズとして1917年にいまなお継続展開されるオールスターを発表した。そんな名門のアーカイブから栗原さんが選んだ5モデルとは。
当時YMCAに在籍したジェイムズ・ネイスミス博士によって考案されたバスケットボールに着目した〈コンバース〉が、1917年に開発した世界初のコートモデル。その優れた品質に惚れ込み、現役中長年にわたって愛用し続けたチャールズ・H・テイラーの栄誉を讃え、1946年より彼の名がアンクルパッチに記されるようになった。本モデルはそんなチャックテイラー期のアイコンでもあるブラックのヒールパッチを備えた70sハイカット。ちなみにローカットモデルは1957年から製造が始まっている。
1959年に登場したオールスタートレーナーは、その名の通りインソールの下部に重りが仕込まれ、両足に物理的な負荷をかけることで筋力増強を目的に開発されたとされる珍種。ヒールラベルは62年まで採用された通称対角三つ星仕様(63年からは横並び三つ星へと変遷)、ブルーのトゥキャップが本モデルのアイコンにもなっている。デッドストックで手に入れたものの、重り部分の経年変化によってアッパーに斑点状の染みが浮き出てしまっている。
宝島誌の連載『LAST ORGY 2』にて紹介され、90年代にブレイクした迷彩柄のオールスター。じつはオールスター史上初の柄物として1983年に登場している。それまではチームカラーなど無地のみの展開だったオールスターにも、本モデルを皮切りに、万国旗、星条旗、フランネルチェック、アニマルパターンなどなど、以降は様々な柄物が登場し、よりファッションやユースカルチャーとの親和性を高めていった。
発売当時にはあまり芳しい評価を得られず、栗原さんもその数年後にデッドストックをわずか数千円で手に入れたという珍モデル。〈コンバース〉のアイコニックな意匠を残しつつアレンジされたモデルが90年代後半にリリースされ、後年になって珍種の〈コンバース〉=珍バースとしてヴィンテージ市場で高い評価を得た。なかでもワンスターローファーは抜群の人気を誇り、近年は〈コンバース アディクト〉より復刻を果たして話題になった。
1932年から14年連続でワールドチャンピオンシップを獲得したバドミントンプレイヤー、ジャック・パーセルが開発に参加したことでも知られる古参シグネチャーモデル。最初期はA.G.&スポルディング社から展開され、40年代以降はB.F.グッドリッチ社が製造。1970年代に入ると同社と〈コンバース〉のシューズ部門が統合された。本モデルは1940年代ごろのB.F.グッドリッチ社製。ヒールパッチがなく、サイドには2本取りの2アウトステッチ、同モデルのアイデンティティでもあるポスチャーファンデーションインソールもしっかり採用されている。こちらはコンバース社製ではないが、栗原さんが所有するジャックパーセルの中では一番古いモデルということでここで取り上げた。