加藤忠幸の脳内インデックス。
<し>渋谷
加藤さんと街のイメージって、勝手ながら地元の鎌倉と〈SSZ〉のコーナーがある「ビームス 原宿」=原宿があって。でもこの前、最初はよく渋谷へ行っていたと聞きすごく意外でした。
最初はやっぱ、「ロンディス (LONDIS)」ですね。
「ロンディス」はなにを目的に行っていたんですか?
〈グッドイナフ〉とか〈ゲットウェア(Get Wear)っていうスケートブランドを買いに行ってました。
何歳くらいの話ですか?
いくつくらいだろう…。高三か、大学一年だと思います。うすら覚えでムラジュンさん(※俳優の村上淳)が水曜日に(働いて)いるとかいないとか話は聞いていたんだけど、「ロンディス」で買ったのは〈アニエスべー(agnes b.)〉のベースボールキャップだけでしたね。
〈グッドイナフ〉は買えなかったんですね。
(「ロンディス」は)1、2回行った後にお店の場所も変わって、名前も「エム(M)」になってて。渋谷から代官山の並木橋に向かって歩くとお店があったんです。白い洞窟みたいな内装で、〈グッドイナフ〉とか〈プランビー(PLAN-B)〉とか、あとは〈モニュメント(MONUMENT)〉ってイギリスの服とか、〈ジョンピアース(John Pearse)〉ってマルコム・マクラーレンが着ていたブランドとかもありましたね。
日本とアメリカとヨーロッパのブランドのセレクトって面白いです。
すげー変なセレクトで面白かった。基本は〈グッドイナフ〉なんだけど、たまに〈ジョンピアース〉の襟がラウンドしたシャツとか、よくわからないボンテージパンツとか買ってましたね。
「エム」では〈グッドイナフ〉を買えていたんですね。
行ったら毎回(〈グッドイナフ〉が)あるわけじゃないですけどね。当時すごく欲しかったのが、(〈グッドイナフ〉の)スエットのMA-1とか、スエットのコーチJKTとか。スタジャンもすげー欲しかったです。
〈グッドイナフ〉のナンバリング付きのスタジャンなんて、一般で買えたひとって何人いたんですかね?
あんなの(レアすぎて)買えない買えない。スエットでフライトJKTをつくってるシリーズがあって、A-2だけは買えましたね。〈グッドイナフ〉の中で一番好きだったのが『G FLIGHT PANTS』って言われていたやつがあって、それの1と2は「エム」で買って履いていて、3は「ビームス」に入ってから買いました。
「エム」のお店は並木橋まで行く感じですか?
行かないです。その手前の(明治通りの)裏の雑居ビルの2階で。
その周辺って、いまもですけど洋服屋さんって他になさそうです。
なにもなかったですね。その前にも「スラップショット(SLAP SHOT)」とか「メトロ・ゴールド(METRO GOLD)」とか「バックドロップ(BACKDROP)」とかがあってちょこちょこ行くんですけど、自分は湘南から来ているだけあって、アメカジって言うよりやんわりスケートブランドのようなのに惹かれるようになって。『ファイン(Fine)』とかも読んでましたし。
当時の情報源はやっぱり雑誌で?
そうそう、雑誌ですね。
地元とかで情報交換したり、いっしょに渋谷へ行く友だちとかいなかったんですか?
いないない。全部『ファイン(Fine)』とか『ホットドッグ プレス(Hot-Dog PRESS)』とか『アサヤン(ASAYAN)』とかでした。『宝島』はあまり見ていたイメージはないですね。
それって年号でいうとどれくらいの話ですか?
1991〜1993年くらいかなー。
じゃあまだ〈バウンティーハンター(BOUNTY HUNTER)〉のお店とかができる前ですか?
「エム」からの流れで裏原のお店ができる、できないってときに、まずは「ノーウェア(NOWHERE)」ができて。まだ看板ができていなかったころ。そのときにオモチャ屋ができるってフライヤーを見たのが〈バウンティーハンター〉でした。
ということは〈バウンティーハンター〉ができるのが1994年なので、その前で間違いないですね。
ですね、1992〜1993年によく(「エムに」)行ってましたね。
「エム」以外に渋谷でよく行くお店ってあったんですか?
ファイヤー通りまで歩いて、「メイドインワールド(MADE IN WORLD)」と「ザップ!(ZAAP!)」。この3つをまわってから適当に帰るのが、すきなルーティーンでした。
「エム」に行って「メイドインワールド」に行って「ザップ!」に行くコースは、いつもひとりで?
ひとりか、双子の兄貴と。
加藤さん、双子だったんですか!?
そうそう。あと、おれがこっち(東京)によく来ていたのって、熱帯魚がすきで。
熱帯魚ですか??
代々木八幡にあった「ウチダ熱帯魚」(笑)。「ウチダ熱帯魚」は超鬼ですよ、おれの中ではめちゃくちゃヤバかったです。『ポリプテルス』と『コリドラス』の名店ですね。
加藤さんが熱帯魚好きなのも、はじめて知りました(笑)。
「ウチダ熱帯魚」の店主がすげーボクシング好きで、よく行って顔を覚えられてたから「加藤くん、ボクシングやったほうがいいよ。歯茎みたらわかるんだよ、いいボクサーになる歯茎してるよ」って言われて(笑)。
それでボクシングはやったんですか?
やってない(笑)。
ちょっと渋谷から逸れそうなので、ここらへんで熱帯魚の話はやめておきましょう(笑)。「エム」にはどれくらいのペースで行ってたんですか?
うーん…、最低月イチは絶対に行ってたかも。家にすげー(数の)〈グッドイナフ〉があるんですよ。「エム」はそのあと同じ場所で改装して「イーエルティー(ELT)」になるんですよね。
当時と言えば原宿の「赤富士」とか「アストアロボット(A STORE ROBOT)」とかをよく聞くじゃないですか? 加藤さんは行かなかったんですか?
おれ、夜遊びしてないしパンクシーンを通っていないんですよ。だから行ってなくて。
渋谷と原宿は隣駅なのに、近いようで遠かったんですね。
もちろん「ミロスガレージ」とか「ツバキハウス」の名前は雑誌とかですごく目にしてたけど、ラグビー部で朝がはやかったから夜の活動とは縁がなかったんです(笑)。
それから大学を卒業し、「ビームス」に入社して最初に配属されたのが…。
「ビームス トウキョウ(BEAMS TOKYO)」って、いまの「ビームス メン渋谷(BEAMS MEN SHIBUYA)」のところで。それが1996年です。
1996年の渋谷ってどんな感じだったんですか? いま「SHIBUYA TSUTAYA」が入ってる「Q FRONT」に映画館とかがあった時代ですよね?
あったあた。まだセンター街の途中あたりに「ヴォイス(VOICE)」があって、あとは「渋谷パルコ(渋谷PARCO)」の地下にあった本屋はよく行ってたし、みんな行ってましたね。
あと加藤さんが行かれてそうなので言うと「タワーブックス(TOWER BOOKS)」とか?
余裕で超行ってましたね。『ドロアモック(drawamok magazine)』とか買ってました。当時はネットもSNSもないから、「タワーブックス」の洋書とかジンから知るしかないことも多くて。あとはお店から「シスコ(CISCO RECORDS)」とか「マンハッタン レコード(Manhattan Records)」がめちゃくちゃ近くて。
1990年代は宇田川町がレコードの聖地として盛り上がっていたころですね。
ただ、おれはDJやらないしレコードプレイヤーも持っていなかったから、(買ったり聴くのは)ミックステープでした。ちょうどMUROさんの『Diggin’ Ice』とかDJ KIYOさんとか、あとはテープキングス(Tape Kingz)とかDJ スピナ(DJ SPINNA)とかをよく聴いてましたね。
自分でミックステープつくったりもしましたか?
してません、めんどくさいんで(笑)。
どのタイミングでスケートボードにハマるんですか?
「シスコ」にめちゃくちゃよく行ってた「ビームス」のアイカワさんって先輩が、スケートにめちゃくちゃ詳しくて。当時の「ビームス」の中でも相当変わっていて、ぶっちぎりで一番かっこよかった。
そのころの加藤さんのファッションは裏原な感じだったんですか?
いやいや、おれは大学を卒業したときにサーフィンをはじめて、横浜の元町のサーフチームに入っていて。「ビームス」に入ってからは、サーフチームのひとが横須賀のスケートパークに、夜中にクルマで連れていってくれたり。ちなみにおれらのサーフチームの、その時のキャプテンがラヴ イヤー アート(LOVE EAR ART)の弦ちゃんです。
えっっっ、弦さんなんですか!?
あるときにサーフチームのひとがスケートにハマって、おれはアイカワさんに「サーフィンがはじめたばっかりで、スケートは全然やってないんですけどなにがいいですか?」って聞いたら、「〈ワンフィフティーワン(151 Skateboards)〉とか〈アンチヒーロー(ANTI HERO)〉がおまえには合う」って言われて。
まさかのそんなゴリゴリな(笑)。
相川さんがハーコーすぎだけど、おれはそれがうれしかった(笑)。そのころ〈ガール(Girl Skateboards)〉とかがすごく流行ってるのに。その前は〈プランビー〉とか〈エアウォーク(AIRWALK)〉の『エニグマ』を買いにポーザーみたいに渋谷の「ストーミー(STORMY)」に行ってたけど、それからはビデオを買ってたましたね。
だからスケートにハマったのはアイカワさんと、あとは〈バードウェル(Birdwell)〉とかをやっていたアライさんの影響。
当時はいわゆる渋谷系のブームがまだ残っていた時代だと思うんですが、「クラブ クアトロ(CLUB QUATTRO)」とか「渋谷公会堂」とかに、ライブ観に行ったりしてましたか?
まったく行ってない(苦笑)。
渋谷で働いていたのに(笑)。仕事が終わったらなにしてたんですか?
サーフィンやってて朝が早かったから、まっすぐ(家に)帰ってましたね(笑)。でも、小沢健二とかコーネリアスとかスチャダラパーとかは聴いてましたよ。スチャダラパーは〈エイプ®(A BATHING APE®)〉を着ていたし、コーネリアスは〈エイプ®〉や〈グッドイナフ〉、あとは超古着ですよね。〈リー(LEE)〉とか〈ラングラー(Wrangler)〉を買っていたのは、小山田圭吾さんの影響もあったから。あとはカヒミ・カリィとかキミドリとか四街道ネイチャーとかも聴いてましたね。
渋谷での行動範囲は「ビームス トウキョウ」を中心に、「タワーレコード」と宇田川町を結んだあたりまでだったんですね。
そうそう、あとは昼に「やしま」と中華の「万味」、「東急ハンズ」に行ってたくらい。(渋谷勤務は)1996年と1997年、1998年の途中には新宿へ異動になっちゃうんで。
だからおれ、渋谷のこと全然わかってないです(笑)。サーフィンやスケートにハマったから(ビームスの)バイヤーになっていまのスタイルがあるわけだけど、あの時に(クラブへ行くなど)遊んでいてもよかったな、そうしたら違うスタイルになっていたのかな?っていう想いはありますね。
BEAMSバイヤー / SSZディレクター
1973年生まれ・神奈川県出身。大学卒業後にビームスに入社し、2012年よりSURF&SK8部門のバイヤーに。2017年には自身のブランドである〈SSZ〉をローンチ。加藤農園の4代目として鎌倉で野菜を育て、4日に1度は市場で販売も行う。鎌倉で「LANE BY」を運営したり、2026年4月には『I AM BEAMS』シリーズから『KATO』も出版。